愛に生きる

日常生活から少し離れて内省の時間にふと浮かんだ思いを記します。

すべてを肯定的に受け止める

ラーマクリシュナパラマハンサという聖者がインドにいました。彼は神の熱心なバクタ(帰依者)であり、現在でも多くの人が彼からインスピレーションを得ています。彼にまつわるエピソードで、私の心に残っているものがあります。彼は食べるものがないとき、それは神の御意志であると受け止め、断食の行を勧められているのだと考えました。逆に立派なごちそうを振る舞われたときには、断食によって清まった体に神から食事が与えられたと考えました。つまり、彼は何があってもそれを神の御意志と受け止め、肯定的に状況に対処したのです。

 またインドにはプラフラーダという非常に有名な聖なる悪魔がいました。彼も神の熱心なバクタ(帰依者)であり、自分を痛めつける働き(プラフラーダの父は何度も彼を殺そうとした)も、自分を救う働き(父に殺されようとしても常に神は彼を救ってきた)も等しく神の御意志と受け止めたそうです。

 このような態度は非常に高潔です。日本人は万物に神を感じることのできる民族です。しかし自分に快楽や利益をもたらすことに関しては喜びを表しますが、自分に苦しみを与えることに関してはなかなかその状況を受け入れることができないことが多いと思います。これは人間の一般的な傾向だとは思いますが。

 すべては神聖です。あらゆるものが至高の存在の栄光を示しています。それを心の底から受け止めることができる人は、非常に高潔です。あらゆるものごとを肯定的に受けとめることができれば、その人の人生は成就します。世の中のあらゆる問題は否定的な思考の歯車がなかなか止まらないことからもたらされます。

 インドではこの世はマーヤー(幻)であると言います。見えるものはすべて真実ではないと言います。しかし、この世というカーテンの向こうに何かが存在していることを誰もが感じています。それは姿を持たない存在です。それは悪魔ではなく、善なるお方です。インド人は、このような根本的な信仰があるからこそ、さまざまな問題があっても幸せに生きていると友人が言っていました。太陽を毎日昇らせているお方、四季を与えてくださるお方、休息のための夜を与えてくださるお方、心地よい風で吹いてくださるお方、生命に必要な水を与えてくださるお方、食物を育んでくださるお方、暖を与えてくれる火を与えてくださったお方、…このようなお方に対する根本的な信仰を育むことができれば、私たちには問題はなくなるでしょう。