神道について1

 

今日は神道について書いてみます。私のブログを神道で検索すればいくつかの記事は出てきますが、まともに神道について触れたのは約11年前のアマテラスや二宮尊徳を取り上げた記事だけかもしれません。日本における主な宗教は仏教と神道で、多くの人はともになじみがあるでしょうが、私は傾向として仏教系のところがあり、神道に強い関心はもってきませんでした。それでも日本で暮らしていますと、神道について考える機会は時にあります。今日はそれらについて簡単にまとめてみたいと思います。

 

多くの人はそうなのかもしれませんが、私は初参りの神社の氏子です。地方ではありますが都市部の神社でして、氏子ではありますが、氏子であることを実感したことはこれまで一度もありません。初詣などで通うことはありましたが、その程度です。後に農村部に住むことになり、そこで暮らしてみると、地域の方々が氏神様と強い関係があることを知りました。氏子であるということは、人によって程度は異なるかもしれませんが、生活にそれなりの影響をもたらしているように見受けられます。そもそも古代日本においては稲のもみを配ることによって朝廷は日本を支配したという意見を読んだことがありますが、米の生産と神社との間にはそれなりの関係があるのでしょう。農村部では今も神社が人々の生活により関係しています。

 

神社といえば神道であり、神道古事記などの神話と関係しています。古事記に出てくる神様と関係する神社は多いですが、一方で私の地方に多い八幡宮は外来文化とも関係があるように聞きます。人から聞いた話ですが、古代大陸の文化が九州北部にやってきた際に、古代日本の人はそれをどう受容するかという問題に直面しました。その問題に立ち向かった一つの拠点が英彦山だとされます。博多や北九州と英彦山は平地だけでなく山を通じてもつながっており、修験の地でありました。この英彦山で咀嚼されたものが花開いたのが、県境を越えた大分の宇佐や国東半島であったと聞きます。宇佐八幡宮八幡宮の総本山です。国東半島にはまだ行ったことはありませんが、古い時代の独特な文化が残っているようです。私は比較的英彦山に近いところに住んでいますので、英彦山や宇佐、国東半島の文化に関して今後少しでも学べたらと思っています。大陸との関係の深さは、もしかしたら出雲あたりも大きいでしょうし、しかしそちらに関してはほとんど知りません。

 

英彦山について触れましたが、神道山岳信仰の関係は重要な切り口だと思います。私は山歩きをしますので、山の中に神社があったり、小さな祠があるのをよく知っています。今はすたれていますが、50年前には信仰を生きる人たちが山にかかわっていたのを感じさせる遺構もあります。町中や農村部における神社に比べて、山の中では自然信仰の印象を一層受けます。私は山を歩いているときに感じる自然信仰にはかなりの共感があります。町における神道、農村部における神道、山における神道をみれば、神道が多くのものを包摂してきた歴史を感じます。神道は受容・包摂の宗教であるでしょう。

 

神社におけるご神体はさまざまでしょうが、よく見かけるのは鏡です。三種の神器の一つです。私は思うのですが、神道は鏡の宗教でもあると思います。神社に参ってお祈りをする際、私たちは鏡に向かって祈りを捧げています。鏡は私たちのその祈る姿を映し出します。鏡は私たちの姿と思いと言葉をそのまま私たちに示しているといえます。私たちが何かを祈ると、鏡はそのとおりでありますようにと応えているのかもしれません。私たちの心が清らかであれば、私たちはその清らかさの影響を受けるでしょうし、心が邪であるならば、また私たちはその影響を受けるでしょう。私たちの祈りが真摯なものであるならば、おそらく私たちはその祈りに沿った努力をなすと思います。祈りと異なる努力をなすならば、やはりそれにふさわしい結果になります。鏡はすべてを映し出します。祈ることで私たちは自分を知ることができますし、人生において何をなすべきかが明確になります。西洋では土地や金銭を資本としましたが、日本においては祈りこそが第一の資本です。

 

私はお寺にはかかわっているのですが、神社にはかかわっていません。神道には教義がないとも聞きますが、神社にかかわっていないので、多くを語ることはできません。神道の実際に関して語ることはできないにしろ、実はもう少し思うことはありますが、少し長くなるかもしれませんので、次回に続きを書きたいと思っています。