サイババのカースト

 

私はよく知りませんが、インドにはカーストというものがあります。それとは別にジャーティというものもあるようです。私が大雑把に知っているのは、カーストとは僧侶階級とか為政者階級とかそういうもので、ジャーティとは細かく分かれた職業集団のようなものだろうということです。インドには慣習としてそういうものが残っているのでしょうが、実際のところ世界中にそういうものがあります。日本もです。僧侶階級の人は多分僧侶階級どうして結婚することがまああるようですし、政治家の家系同士の結婚もあります。豊かなものは一般に豊かなものと結婚する傾向がありますし、庶民は庶民と結婚しています。政略結婚の場合当事者はどう思っているのかはわかりませんが、そもそも互いの文化を理解しあえる人を望むのは一般的なことです。職業集団に関しても、特定の職人さん同士は情報交換などで関わることが多いでしょうし、経営者たちの団体というのもあります。社会制度として厳密であるかどうかは別として、カーストやジャーティというものはおおむね世界中で見られます。生まれによる差別は望ましくありませんが、私は何らかの文化集団が文化を維持したり、文化を尊重すること自体は肯定できます。

 

さて今日のタイトルは「サイババカースト」です。サティヤサイババは肉体的なカーストクシャトリヤ階級(為政者の階級)だったようです。私はそういうことに大きな関心があるわけではありません。私が今サイババカーストというとき、それはブラーミン(僧侶階級)、クシャトリヤ(為政者階級)、ヴァイシャ(ビジネス階級)、シュードラ(一般人)のカーストとはまったく異なるものを指しています。ブラーミンなどのカーストは世俗、肉体に関係するものですが、サイババカーストを世俗とは離れた、つまり出世のありようとしてとらえたいのです。サイババの帰依者にはインド人だけでなく、世界各国の人たちがいます。大富豪もいれば著名な政治家もいますし、多くの聖者たちもサイババの帰依者です。もちろん数多くの一般人が彼に帰依しています。そういう意味で、サイババの帰依者集団はカーストを超えているのですが、一方でサイババの帰依者には共通する特徴というものもあります。たとえば毎日瞑想をしているというのも一つでしょう。人の目につくかどうかは別として霊的努力を日々重ねているというのも一つでしょう。長年帰依している人というのはほとんどの人が人当たりが柔らかいものです。不安を抱えておらず明るくポジティブな人が多いという特徴もあります。それはその人の肉体的属性、つまりカーストや国籍、性別、知的レベル、障がいの有無、宗教などに関係しません。

 

カーストは一つ、それは人類というカーストです。
言葉は一つ、それはハートの言葉です。
宗教は一つ、それは愛の宗教です。
神は一つ、それは遍在の神です。

 

というようなことをサイババはよくおっしゃいますが、このような特徴によって記述される社会集団がサイババカーストといえるものです。

 

インドのモディ首相はサイババの帰依者としてよく知られている方です。サイババになじみのない方にはピンときにくいかもしれませんが、サイババの帰依者がモディ氏の言葉を読んでいると特徴的な用語にピンとくることがあります。特に秘密にして隠しているわけではありません。ただどういう文脈でそれが語られているのか伝わってくるわけです。そういう意味では、私にとっては日本の有力者の言葉よりもモディ氏の言葉の方がより深く伝わることがあります。私はモディ氏とは直接的な関係はまったくありませんが、しかしそれでも伝わるものがある、それがいわゆるサイババカーストと呼びたいものです。

 

サイババカーストに属する人ならば、時につらさを感じることがあるにしろ、世間とサイババのはざまで選択を迫られたとき、サイババを選ぶものです。サイババを選ぶとはサイババの御教えを選ぶ、その存在に必死にしがみつくということです。サイババカーストに属する人は、サイババの仕事をします。家業を営んでいる家族の一員はその家業を手伝うようなものです。サイババの仕事とは会社の就業規則で明示されているようなものではありませんが、世俗の風向きとは関係なく、義務に携わり社会奉仕を行うということです。それが身についている人には体験的に理解できるものです。

 

サイババカーストに属する人はサイババが示す人生の目的を理解しており、それを念頭に日々生きています。少し困難ではあるにしろ、サイババを思いながら日々過ごし、すべての行為を捧げています。サイババカーストは僧侶階級のように人々を言葉で導いたり、社会に政治的効果をもたらしたり、富の拡大を第一義とはしていませんが、強いていえば愛を地球上に満たすような働きをもっているといえます。

 

サイババカーストに属する人が世界中にどのくらいいるのか私は知りません。いわゆるサイオーガニゼーションのメンバーとは異なると私は思っており、たとえば日本に数千人くらいいるかもしれず、あるいはほんの10人に少しばかりの程度かもしれません。誰がサイババカーストに属しているかを厳密に知っているのはサイババだけです。サイババカーストに属する人はサイババの仕事をしていればいいわけで、その他のことはすべてサイババが面倒を見てくれます。サイババの人の扱い方は思いもよらないこともあり、何歳になってもなれない部分というのはあります。いつも新たなダンスのステップを習得しなければならないかのような毎日毎年です。人生が終わるときに自分がどうなっているか正直よくわかりません。しかし何万回も生まれ変わる中で、1度くらいはそういう人生を生きてもいいのではないかと思っており、私にはこの人生がそれにふさわしいチャンスでありますので、少しばかり努力しているわけです。そして少なくとも多くの日本人よりは平安を得られていると思っております。