どんな知識であろうと、少しばかりは価値を内包しているものです。ある人には価値のない知識であっても、他の人は価値を見出すかもしれません。普遍的な価値もあれば、一時的地域的に価値をもつ知識というものはあるものです。キャンディーは包装紙で包まれていますが、知識は包装紙で包んだキャンディーのようなもので、大切なのはその知識に含まれている価値=キャンディーです。価値とは日常生活に取り入れることができ、それが何らかの体験をもたらすもののことです。
ならば知識を獲得していくことは種々多様な価値の標本を手にしていくこと。知識を備えることで、自らの目の前にある現実に対処する選択肢が与えられます。備える知識によって対処が異なってくるということは、知識が判断の拠り所となっている、決断の根拠となっている、つまり識別が知識の基本的な機能であるということです。
実は知識の目的は愛であるという言葉もあります。知識は愛を表現するためのものであるという意味です。私たちは教育課程でさまざまなことを学びますが、それは単に学位をとってより良い就職先を得るためのものではなく、可能ならば学んだことのほとんどが多少なりとも生活の役に立つのが好ましいのです。知識は愛の実践のための道具です。
私たちが識別を働かす時、最も根本的な識別はそれが普遍的なものなのか一時的・刹那的なものなのかということです。私は年を取り人生の残り時間が少しずつ減ってきているので、できるならば刹那的なことにあまり時間をかけたくなく、普遍的あるいは永遠に属するだろうことを選択したい欲求が高まっています。そして愛とは普遍的であり永遠に属することでしょうから、知識の目的が識別であることと知識の目的が愛であることはかなりの程度意味が重なっています。
自分が納得する人生の方向が定まれば悩み事は減ります。悩みの多くは人生の方向が定まらないことに起因しているでしょう。人生の方向が定まればあとはその範囲内で地道に努力を重ねるのみです。船が前に進むには、舵を取ることと櫂(かい)を漕ぐことの2つが必要です。識別とは舵を取ること、定めることです。
アマゾンのベゾス氏は退任することになりましたが、彼が社員に要求していたことは適切な決断・判断でした。彼は社員の決断・判断に給料を支払っているといっていました。またアマゾンのサイトで物を売って利益を得ているのではなく、顧客が買い物をする際の判断を助けることで利益を得ているといっていました。アマゾンのECサイトだけではなく、本来知識を提供するとは、それを手にするものの判断を何らかの形で助けるためのものだといえます。
識別を働かせる、判断をする、決断をするとは人生そのものです。人生とは判断・決断の束です。自らが主体的に決断するだけでなく、状況に翻弄されながら受け身の形でそれを受け入れるかどうかも決断です。決断をしないという選択をすればどうなるでしょうか? ある面では30年近くも決断を先延ばしにしてきたのが今の日本の姿といえないでしょうか? ならば決断とは足で大地を蹴り前進する意志、生きる意志を示すことなのです。
ただ漫然と知識を得ることが何かの役に立つこともあるでしょうが、今のように検索すれば多くの知識を手に入れることのできる時代の教育において大切なのは、知識は識別を助けるためのものであると踏まえることなのかもしれません。実際にアメリカのMBAの教育課程においては、様々な状況においてどう決断するかのケーススタディばかりが行われていると聞きます。