盗用と剽窃

 

著作権がらみで引用と盗用と剽窃のことが気になったので、少しばかり書いておきます。私は法律や判例のことを知らないので厳密に何が引用で何が盗用で何が剽窃なのかはわかりません。素人ながらに理解しているのは、引用は引用元を示して引用すること、盗用は引用元を示さず引用全体が自分の創作であるとして盗むこと、剽窃は部分的に語句、思想などを自分のものとして盗むことと大雑把に理解しています。

 

私のこのブログは霊性について書いていますが、主に参考にしているのはサイババの著作、宗教関係の著作、その他の書籍ですが、それらがどれくらいの割合で現れているかこれまでチェックしたことはありません。最も多いのはサイババの著作ですが、語句を引用する際、これまでいい加減であったのは免れず、引用元を示したこともあれば、サイババの名前だけを示しただけのことがあれば、そういうことをせずに用いたこともあります。引用元を示さずとも英語の文であれば一般にそれが私の創作であるとは思わないでしょう。曖昧にしてきたのは、このブログを読んでいる人の数が少なく、また私が何らかの利益特に金銭的利益をまったく得ていなかったからです。

 

他にも理由があります。私はサイババの文献を28年前からほぼ毎日といっていいほど読んできて、サイババが繰り返し述べていることはそれがどこに書かれているかなど気にならないくらいに自然に自分の思想の一部になっていました。またたまに気になった表現があったときには、それを個人的にメモすることがしばしばで、時間が経った後にそれがどこに書かれていたか探すのが難しくなっているケースもあります。またある文が心に残った際、その文の内容が原文から離れて時と共に自分勝手な理解へと変容してしまうことがあり、私が記憶しているのが原文なのかどうなのか判断できないケースが多々あるのです。

 

例えば、先週「知識の目的は識別である」と書きました。私が読んできた範囲内ではサイババは「知識の目的は愛である」とはまあ言っています。一方「知識の目的は識別である」はサイババが言っていたかどうかはわからないのですが、サイババが述べた文の中に知識という単語と識別という単語がかつてあって、その2つの単語が私の中で結びつき私のこれまでの体験の実感として「知識の目的は識別である」との私の理解があります。実際に自分なりにその根拠、体験も付け加えて述べています。これが厳密に盗用なのか剽窃なのか私はわかりません。

 

正直にいえばこういうケースは時々あるのですが、私は悪意をもって盗用あるいは剽窃を意図しているわけではなく、サイババには敬意を持ち続けています。もし日本人がサイババに対して好意的であるならば、私はこういう書き方をしておらず、サイババがこう言っていたああ言っていたと淡々と書いていたと思うのですが、日本人の多くがサイババを知らず、あるいは知っていてもあまりいい感情をもっていないのを知っていますので、サイババの名前を積極的に前面に出さずに、しかし何らかのエッセンスが表現できればという気持ちはありました。

 

そもそもサイババのご講話を読んでも、用いている語句はそれほど難しくはなくとも、内容はなかなか理解できない人が大半でしょう。わかるような気がするけれども、でも何かよくはわからないという人は結構いると思います。サイババの言葉を理解するには、その言葉を前にして自らのそれまでの人生の体験を振り返り、それを通じて自己理解を深めない限り困難です。私は30年近くの間にそれを少しばかり行ってきたので、その体験を踏まえ、サイババの言葉を読む人が多少なりとも理解できるように適切な補助線を引いてそれを記事にしてきたわけです。いうならば数学の定理の証明に似た面があります。つまりサイババの言葉が引用されていたとしても、皆さんが読んでいるのは私の心の中の過程なわけです。

 

これはサイババを信じない人には理解できないことですが、長年サイババの言っていることや行っていることに関心を持ってきた私から言わせてもらいますと、サイババが述べていることは今後科学や学問が何十、何百年と探求を重ねた先の結論を述べていることが多々あります。例えば病気の原因や何を食べたらいいかなどはわかり易い例です。結論があって、私の今の立ち位置があって、その2つの間には距離があるのですが、その距離を埋める試みがこのブログの記事でもあります。私が自らの経験をどのような方向性で活用すればいいかを自らに言い聞かせている面があります。

 

最後になりますが、サイババの言葉がきっかけとなって、さまざまな概念、経験、想像などが私の心において化学変化を起こします。化学変化が起こってしまえば、それ以前と以後とでサイババの言葉に対する理解が変わってきます。原文もしばしば忘れさられてしまいます。私の心にある納得があるのみです。私はその納得をこのブログで書きます。

 

サイババの御言葉を厳密に引用するのが好ましく、しかしそれがどこにあったか辿れなかったり、記憶が変わっていたりしてこれまで曖昧にしてきた面があります。このブログの記事の少なくとも3分の1、多ければ3分の2近くは、多少なりともサイババの言葉にインスピレーションを得て書かれたものです。私はこれからも霊性に関してしばらく書き続けることができるのではないかと思いますが、それはサイババの言葉が尽きることのない豊かさを湛えているからです。それは盗用ではなくとも剽窃を疑わせるものなのかもしれません。そのあたりの判断は今の私にはできません。ただ同じサイババの文章を目にしても、私のように考えたり書ける人は多分ほとんどいないだろうと思います。少しは私の独自性はあるはずです。しかし今後は引用に関してこれまでよりも注意したいとは思います。

 

あと私の書いたものを読んで何らかの気付きがあった際、私はそれを他の人に伝えてもらってもまったく構いません。その気づきが肯定的であるのならば、多くの人と共有されることは大切だと思うからです。

 

サティヤ サイババ 御講話集

 

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