愛に生きる

日常生活から少し離れて内省の時間にふと浮かんだ思いを記します。

教育と文化

 久しぶりに教育に関することを書きたいと思います。

Only if education is blended with culture, will it shine forth as 
true education. And what is culture? It is the cultivation of 
discrimination between good and evil, sin and merit, and 
truth and untruth that we experience in our daily life. 
Education must remove evil thoughts, feelings and 
qualities; cultivate the good, and make one broadminded.
(教育は文化と調和したときに限り、真の教育として光り輝くでしょう。そして文化とは何でしょうか? それは、私たちが日々の生活の中で経験する善と悪、罪と徳、真実と非真実の間の識別を育むことです。教育は邪悪な思いや感情、性質を取り除かなくてはなりません、そして善を育み、人を心広い人間にしなくてはなりません。)(H2H 2008.4月号)

 文化というものが何であるかは大きな難問の一つですが、一つの考え方として、それは「日々の生活を送る上での識別の束」だと定義できそうだと、上の言葉を初めて読んだときに思いました。

 例えば食事を整える際、何が栄養があり健康によく、何が食べられないか私たちは識別しています。多くの人は、野菜、穀物、果物、肉、魚の中から食べるものを選んでいます。ベジタリアンはそのうち肉と魚を摂りません。つまり非ベジタリアンベジタリアンは識別が異なるのです。

 衣類についてもそうです。簡素な服を身につける人がいたり、派手な服を身につける人がいたり、保温性や吸湿・放湿性の機能を重視する人もいます。衣類の値段との兼ね合いも考慮した上で、何を買い身につけるかを識別します。人によって識別が異なるので身につける衣類が異なるといえます。

 一日が終わり夕食を摂り、夜の帳が下りてからの過ごし方も人によってそれぞれでしょう。静かな時間をどのように過ごすかは人の識別次第です。

 現代日本では「人によって価値観が異なる」といういい方がよくされますが、もしかしたら「人によって識別が異なる」といった方がより正確なのかもしれません。

 教育が文化と調和していなくてはならないということは、教育が自分や家族、地域の普段の生活に根ざしたものでなければならないということです。現代の教育はさまざまな知識を授けますが、自らの生活とかけ離れた知識ばかりを与えられ続けると、人は空想的なことを追い求めかねず、それが人生と何の関係があるのかわかりにくくなってきます。そして結局のところ、生活(life)のための教育ではなく、生計(living)のための教育に成り下がってしまいます。そのため、高い教育を受けた人ほどより高い収入を求めて生まれ育った地を去っていく傾向があるのでしょう。

 教育は、識別の束である自らの文化を高めるためのもの。ほとんどすべての人は、善と悪、真と非真、是と非の混じり合った生活をしています。その中からわずかでも悪や非真、非なるものを取り除いて人生を改善していく助けとなるもの、これこそが教育といえそうです。

 二元論とは視野の狭さのことです。識別を向上させることで二元論の影響から遠ざかることができ、心がより広くなっていくに違いありません。