エートス1

 おそらくはこのブログに初めて出てくる言葉ではないかと思いますが、エートスについて考えていることを書き記しておきます。この言葉の意味することについてまだ十分に理解しておらず、先々の思考の取っ掛かりにするための試考です。


 エートスは元は古代ギリシャの言葉のようで、アリストテレスが『弁論術』で取り上げたようです。アリストテレスは、ロゴス・エートス・パトスの三つを論じているのですが、このうちロゴスとパトスについては、私は何となくですがイメージできていました。ロゴスとは単純にいえば論理のことで、私は数学をかつて学んでいたし、今でも簡単な論理パズルが好きなので論理=ロゴスのことはよくわかっているつもりです。パトスは情念のような意味らしく、人の心の感情です。感情に訴えて人を説得しようとする人がいます。感情=パトスもわかりやすいものです。


 私の心の未熟さなのかどうかわかりませんが、エートスについては、その解説を調べても自分なりの適切な理解が今だできません。


 エートス古代ギリシャ語ですが、ラテン語ではethicusと表記されるようになったとのことです。そしてそれが現代の英語ではethicsつまり倫理を意味しています。どちらが正しいのかわかりませんが、別の説では、エートスラテン語訳はモーレス(mores)ともされ、それは英語のmoral(道徳)につながります。なので単純にいえばエートスとはその人の倫理的・道徳的態度のことと推測できるわけです。人を説得するさいに、話者に倫理・道徳が感じられれば聞くものはそれを理解した上で納得するということなのでしょう。あくまでも私の語感ですが、倫理や道徳という言葉にはわずかばかり手垢がついていますが、それに対してエートスという言葉には、まだ多少中立的な印象があります。


 なぜ私がエートスという言葉を気にするようになったかを書いておきましょう。それは私の師が、「経済活動、経営は社会のエートスに従って営まれるのが望ましい」というようなことを述べていたからです。今経営における倫理性・道徳性が、まだ割合としては少ないかもしれませんが、世界のあちこちの大学で研究されているようなことを聞きます。


 エートスを集合的心情と定義することもあるようです。たとえば『プロテスタンティズムの倫理と資本主義の精神』という社会学の古典がありますが、この本は貨幣獲得を自己目的とする資本主義の精神がどのようにプロテスタンティズムから生まれてきたかについて述べたものです。単なる貪欲としての経済活動は古代から散見されましたが、現代世界を覆っている資本主義はそれとは趣を異にするようです。それはプロテスタンティズムの実践の結果として生まれてきた、特定の態度や倫理観を背景にしているとされます。その特徴の一つは貨幣の獲得は有能さのしるしだという考えなどです。あるいは天職という考え方も、それに含むことができるようです。


 集合的心情といえば、何となくそれぞれの国には国民性というものがあります。日本人には日本人の、中国人には中国人の、インド人にはインド人の。もしかしたら、そのようなそれぞれの社会における集団の行動特性のようなものをエートスといって差し支えないのかもしれません。(とはいっても、それでは日本人のエートスとは何なのかを尋ねられても私はうまく答えることはできないのですが)


 現代資本主義というものはプロテスタントに適した行動原理なのかもしれませんが、プロテスタント的考えにまったくなじみのない者の多く(世界のかなりの部分)は、資本主義の現状に多少なりとも違和感を感じているものと思われます。


 それぞれの社会にあった経営、経済発展を目指すのに、エートスという考えはもしかしたらかなり有効なのであろうと思って、時々この言葉の意味するところを考えています。なかなか納得するような思考はできていないのですが。