愛に生きる

日常生活から少し離れて内省の時間にふと浮かんだ思いを記します。

新しい経済

 

今日は少しばかり経済に関して最近思ったことを書きたいと思います。経済に関してはほぼ素人でわからないことが多すぎるのですが、それでも経済の現状を疑問に思うことがたくさんあって、時々本を読んでは思索を重ねてきました。経済には30年ほど前から関心はあって、専門的で学術的な本ではなく、さまざまな企業を取り上げた本、経済を企業から見た本を多く読んできたと思います。また哲学的に経済について述べた本も何冊か手に取りました。またこの10年は投資信託や株を購入しているのもあって、優れた経営者に関する本や投資(企業評価)に関する本も何冊か読んでいます。ちなみに私は企業の株式公開業務に携わったこともあり、資本主義のど真ん中に近い部分もわずかばかり知っています。

 

なぜ経済に関心があるかというと、私が少しばかりお金に苦労しているというのもありますが、何というか資本主義の負の面が気になるというのが正直なところです。以前ウェーバーが語った資本主義に関するエートスについて少しばかりこのブログで書いたことがあると思いますが、資本主義は暴走しだすとなかなか止まらないところがあって、幾度もバブルが崩壊しましたが、そのたびに人々の欲望を新たに駆り立て拡大してきたところがあります。資本主義が物質的に世界を豊かにしたのは間違いないのですが、労働者の疎外の問題や環境破壊の問題、格差の拡大の問題などは十分に配慮されていないような気がしています。さまざまな論者がさまざまに資本主義について語っており、多くを読んだわけではありませんが、どの論考にも一理あります。少しばかり読んだ範囲では、アダム・スミスに始まって経済学が発展してきたのですが、シカゴ学派といわれるものによって経済学は少し変質したように受け止めています。2020年代の経済はこのシカゴ学派の影響が色濃いようで、市場=マーケットの位置づけが特異だということです。

 

資本主義に対するものとして共産主義がありましたし、日本でよく研究されていた経済学者にマルクスがいますが、人によっては共産主義は資本主義の亜種、つまり国家資本主義だという人がいます。この観点にたてば共産主義は必ずしも資本主義の代替になりそうもないわけです。ならば資本主義とは何なのか? あるいはどこに新たな経済の可能性があるのかが問題になります。新たな経済を必要としていない人は大勢いるでしょうが、違った形の経済を望んでいる人たちも一方でいるわけです。私は日本は経済成長を求めたほうがいいと考えていますが、経済成長を手放せという論者はたくさんいます。彼らのほとんどは資本主義に批判的でしょう。

 

少し前になりますが、『アダム・スミスの夕食を作ったのは誰か?』という本を読みました。この本を読んでいるとアダム・スミスの経済学(自由放任主義)があって、他方その後のシカゴ学派新自由主義)はマーケットを重視しながらも自由放任でないのが伝わってきます。アダム・スミスとしばらくの間は交換が重要であったのが、シカゴ学派以後は競争が重要になったとあります。また多くの人が批判しているのは経済人の概念です。経済学は経済において合理的な人たちの存在をそもそも前提としています。この前提が間違っていたならば、経済学は作り物にすぎないことになりますが、経済学が曲がりなりにも機能してきたようにみえることからこの前提には多くの人が目をつぶっています。この経済人という前提がまずおかしいのですが、それをごまかしつくろうために政治が市場を支援するための多くの物語のバリエーション(フィクション)を作り出してきたというのが、一つの見立てでしょう。経済学は少なくとも一部分は科学であることを放棄しているようです。

 

経済とは何かという定義は大切です。経済学が物語ならば、日本式に経済を経世済民と定義した上での物語の展開は可能です。もちろん他国には他国の経済があって、中国はそれを追求している一つの例です。やり取り(give and take)が行われているところが市場=マーケットであるのですから、市場というもの自体はこの世からなくなることはありません。また経済活動を記録する手段としての簿記もなくならないでしょう。

 

今簿記を取り上げましたが、私は実は資本主義と複式簿記とはほぼ同値(論理的に同じもの)ではないかと思っています。複式簿記は約700年ほど前に生まれたようですが、今複式簿記で記録されているのは、資産、負債、資本、経費、利益などです。もしかしたら資本主義論とは簿記の構成要素の各論を集めたものにすぎないのかもしれません。web3のことを最近良く耳にしますが、このweb3上では経済のありようがこれまでと少し異なっているような印象を受けます。その経済の流れを適切に記録するよう試みれば新たな簿記の発明につながるかもしれません。新たな簿記が発明されたとして、それによって私たちの目の前に現れる経済の姿は資本主義とは異なる可能性はあります。新たは簿記論は新たな経済論につながります。

 

実際のところ私には真実はよくわからないのですが、アメリカではweb3を好まない有力者が多いようです。また中国政府も暗号資産に否定的な態度を取っているようです。一方日本は暗号資産やweb3に関して制度は遅れてはいますが、それほど否定的な態度ではありません。ある意味日本は有利な立場にあるのかもしれません。仮に日本でweb3が花開いたとして、他国から歓迎される一方強硬な圧力を受けて潰される可能性もあります。歴史はどういう道筋をたどるかはわかりませんが、しかし現段階では日本には大きな発展の余地があります。web3自体に可能性があるのか、あるいはそれを契機とした簿記の発明に可能性があるのかはわかりませんが、50年100年先に経済の姿が今と少しばかり異なっていることはありえます。