愛に生きる

日常生活から少し離れて内省の時間にふと浮かんだ思いを記します。

子どものエネルギー

 子どもたちに触れているとよく分かるのですが、子どもはとてもエネルギーに満ちています。大変活発に動き回り、感情表現も豊かで直接的です。私には自分の子どもはいませんが、お子さんをお持ちのかたがたにとって子育てが大変な仕事であることは容易に想像できます。

 この子どもたちのエネルギーは本来大人たちにも備わっていると思うのですが、多くの人はそのエネルギーを抑圧しており、有効に活用されていないようです。人間に与えられたエネルギーは尊いことに活用されるべきでありますが、小さいころからそれを教えられていないのだと思います。子どもに満ちあふれているエネルギーは、無方向、無秩序に発散されるべきではなく、有益な方向に向けられるようしつけられるべきです。子どもの頃にエネルギーをよい方向に活用する喜びを知った子どもは、大きくなってもそれをより良い方向に活用するでしょう。

 しつけはある意味で、子どもに型を示すものですが、これに対して二通りの考え方があると思います。子どもに型をはめることは子どもを束縛することで好ましくないと考える見方と、きちんとした型を身に付けた子どもこそそれを応用して発展的に成長することができるという見方です。私は後者の見方をとっています。

 私の過去40年を振り返ったとき、単なる感覚的な気ままな自由は何ももたらさないという教訓があります。本当に何ももたらさないのです。強いてそこから得られるものは、何ももたらさないという教訓と疲労感だけです。一方、以前私は型が人間を束縛するのではないかという思いを少し持っていたのですが、逆に今は、基本的な型を通しての成功体験が人間の勇気や進取の気性を育み、人間を先へ先へと成長させると考えるようになりました。型は目の前の踏み石なのです。関取においては強い人は必ず自分の型をもっています。

 それぞれの家庭には家庭の文化があります。その文化に従って、子どもに正しい振る舞い方を教えればいいのです。親が自ら行っているよい習慣や振る舞いをそのまま伝えればいいのです。子どもがよい習慣や振る舞いを身につければ、そのよい振る舞いや習慣が今度は子どもを導きます。このことは幼少期のしつけにとって非常に重要なことです。

 幼少期にきちんとしたしつけを受けてこなかった子どもは、思春期、青年期に暴力的傾向や性規範の乱れを引き起こすという話を聞いたこともあります。それは、本来人間に備わっているエネルギーを正しつコントロールする方法を、きちんとしたやり方で教わってこなかったためでしょう。自分でコントロールできないエネルギーは自分にとっても、他人にとっても怖ろしいものです。それは知らず知らずのうちに抑圧も引き起こします。現在の人間のネガティブ思考の根っこはこの辺りにあるのではないかと思います。