世界の問題とかかわり合う-当事者性

学生時代にさまざまなルポルタージュを読みました。その中の言葉で今も心に残っているものがあります。それはベトナム戦争を取材した記録でした。あるベトナム人幹部はライターに「私たちは大丈夫です。やりぬく自信があります。心配しないでください。それよりも、日本人が自分の問題で、自分のためにアメリカのひどいやり方と戦うこと、これこそ、結局は何よりもベトナムのためになるのです。」と答えました。

世界はつながっています。インターネットの発達で一層それは加速されました。身近なものの多くは中国などの他国で製造されています。テレビやインターネットを見ても、外国の情報がすぐに入ってきます。経済のグローバル化が進み、日本人の働き方も大きな影響を受けています。日本から一歩も出なくても、外国の影響にさらされます。

まだ世界には毎日の食事に困っている人がたくさんいます。そういう人たちのために何ができるかということを心配する人もいます。私もそういうことに悩みました。そんな私にあるとき友人は、「自分が食べ物を無駄にしなければいいのです。必要なだけ食べてそれ以上に食べない。そして食べ物を無駄にしない。それだけでいいのです。」と言いました。現在60億以上の人が地球上にいますが、それらすべての人に必要な食料は生産できています。だから、一人ひとりが食物を無駄にしなければ、流通次第ですべての人に食料が行き渡ります。食べ物を無駄にしないことが、日本にいながら世界の食料問題に対する正しい態度となります。

エネルギーの問題もそうです。各人が不必要なエネルギーを使用しなければ、エネルギー問題の切迫度は軽減されます。水の問題も、その他の資源の問題もすべてそうです。さらに、各人のお金の使い方は国の財政問題ともかかわってきます。

外交問題もそうでしょう。近隣諸国と政治的に問題が生じていますが、私たちが身近なところでそれらの国々の人と接する際に人間として当たり前の振る舞いができるかどうか、それが私たち個人個人に問われていることだと思います。

家庭にはありとあらゆる問題が持ち込まれます。仕事に疲れて帰ってくると、そのストレスの反動が家庭内で現れることがあります。子どもたちの教育問題も家庭の中に持ち込まれます。それらの問題一つ一つに対処することは、とりも直さず世界の問題に関わることだと思います。現代は、これは国際問題で、これは社会の問題、これは家庭の問題と区別することが難しい時代です。すべてが私たちに関係し、判断をせまっています。

最近「当事者性」という言葉をときどき耳にしますが、世界のどこにいようとも世界全体の問題を引き受けざるを得ない現代人のありようをこの言葉は示しているのではないかと思います。

このような中、社会の中の何人かが平安と幸福に満ちた当たり前の生活を保っていくことができれば、それはそのまま社会を支える行為になると思います。そのような人は名もない人かもしれません。しかし、彼らが柱となって社会、国家が支えられます。彼らは現代の英雄ともいえるでしょう。

おまけ) ”Believe in your work and your work will believe in you."-Gabor Cselle(起業家)
「あなたの仕事を信じなさい、そうすればあなたの仕事はあなたを信じるでしょう。」