愛に生きる

日常生活から少し離れて内省の時間にふと浮かんだ思いを記します。

非暴力

 私はブッダガンジーを尊敬しています。共にインドに生まれ、非暴力を実践した人です。非暴力とは、ただ単に他の人の体を傷つけないと言うだけでなく、すべての人、生き物、物に対して、思いと言葉と行為で傷つけないことであると言われています。肉体的に誰かを傷つけなくても、ひどい言葉でその人を非難することは暴力であり、心の中に思いで非難することも暴力です。だから、非暴力の実践にはときに困難が伴います。

 私は師は、非暴力とは「愛をもって理解する」ことであると定義しています。私は最初この定義の意味がよく分からなく、すべての人や物に対して「好意的に考えること」を「愛をもって理解する」と思っていました。できるだけ他の人に対して好意的に考えようとしていましたが、それでほとんど人間関係はうまくいくのですが、時にうまくいかないことがありました。そして、今はそれは正しくないと考えるようになりました。人であれ、物であれ、まずは対象を「理解」しなくてはならないことに気づいたのです。そして、理解する過程において愛が大切なのだということに気づいたのです。

 「理解する」とは、その対象に食い込むことです。だから、無遠慮に相手を理解しようとすると、知らぬ間に相手を傷つけてしまいます。だから、優しく愛を込めて理解することが大切なのです。そしてその理解に基づいて、言葉を発し、行動し、心の状態を保つことが、真実であり、正義であり、平安なのだと気づいたのです。

 何か理解できない人や物事が身近にあると、人は不安に襲われるものです。正しい理解は必要です。細かいところまで何もかも分析して理解する必要はありませんが、理解の過程に愛は不可欠です。理解できると、対象との間に良き関係を築くことができます。

 「非暴力は、心、舌、体の清浄と共に実践されなくてはならない」と言われますが、これは、正しい理解を元に、思考、発話、行動は為されるべきであって、その思考、発話、行動も純粋なものでなくてはならないということです。ブッダガンジーの唱える非暴力とはこのことを意味しているのだと思います。

 人は他人や物事を理解するには人生経験を重ねなくてはなりません。非暴力は、人格を構成する主要な構成要素であると思います。ブッダガンジーが歴史に名を残した理由はこの人格のすばらしさにあります。