愛に生きる

日常生活から少し離れて内省の時間にふと浮かんだ思いを記します。

愛と執着

普通の人間はエゴや執着をもっています。エゴとは「私」「私」という感覚で、執着は「私のもの」「私のもの」という感覚です。そして多くの行動が、このエゴと執着に基づいてなされています。

 すべての宗教は、慈悲や愛を説いています。愛は無私性です。私つまりエゴのない状態のことです。エゴがなくて人は行動できるのかと私はかつて思ったことがありますが、それは可能であり、そしてその状態のときにこそ人は平安が得られるというのが、現在の見解です。

 人は、誰かを愛するとき、見返りに何かを期待することがあります。金銭や物、あるいは友情や好意などです。しかし、このような愛は、一時的に何かをもたらすかもしれませんが、中長期的に見て、物事は何もよくなりません。ただ愛のために愛すること、愛自体の喜びの内に愛すること。これが平安の秘訣です。

 私は長い間状況と戦ってきました。状況を自分の思い通りにしようと。しかし無駄でした。そのようなことをしてもひどく疲れるだけでした。最近は、状況は自ずから変わるものだということに気づいてきました。状況というものは、誰にとっても公平で、誰に対しても好き嫌いなく、自然に変化していくものであると。大切なのは、自分の思い通りに状況を変えようとするのではなく、状況に思考や心を適応させること。年をとってこのことに気づいたのです。これがなぜできなかったかといえば、特定の人や物に執着を抱いていたからでした。

 できる限り執着を手放し、無私の愛に従って行動すること。私は少しずつそうするようにしています。これは幸福の秘訣だと思います。