愛に生きる

日常生活から少し離れて内省の時間にふと浮かんだ思いを記します。

愛することと信じること

 愛は至高の徳でしょうが、愛は時間をかけて少しずつ育んでいかなくてはなかなか育ってくれません。自分に対して好意的な人を愛するのはたやすいことですが、自分を傷つける人まで愛するのは難しいものです。人を愛するとは、相手がどのような人であっても、相手に対して肯定的であることと思っています。態度において肯定的であることです。

 しかしながら、人を愛するとは、その人を全面的に信じることとは異なるようです。人はさまざまで、信頼に足る人もいれば、利害においてはやり取りが可能な人もいます。またエゴが強く、意識的にかそうでないかは別として人を傷つけるのをもっぱらとしている人もいます。愛する相手から必ずしも肯定的な反応が返ってくるとは限りません。無防備であることで時に危険にさらされることもあるかもしれません。

 人を信じるときは、相手がどのような人かを理解した上で信じると思います。直感的にこの人は信頼できるとわかるときもあれば、長い付き合いを通じてそれがわかることもあります。

 誰かを愛するとき、全面的にその人を信頼しなければならないのかと思う人がいます。私がそう感じていました。しかし全面的に相手が善なる人であると前提しなくてもいいのだと後に気づきました。愛するとは、相手が信じれる人であろうとそうでなかろうと、相手に対して肯定的であること、相手を愛で包むことでしょう。相手からの見返りを求めない態度だと思います。

 すべての人を愛することはなかなか難しいのですが、愛せなくても、少なくとも傷つけないように、あるいは言葉を使うときに優しく話すようにする、それくらいは何とか試みているつもりです。愛はある種の修行でもありますから、時に努力を必要とします。