愛に生きる

日常生活から少し離れて内省の時間にふと浮かんだ思いを記します。

L・O・V・E

 愛はすべての人が求め、すべての道が行き着くところだとされます。この愛に関しておもしろい記事を見かけました。
 
 愛は英語でloveとつづります。言葉遊びのようなものですが、このloveを次のように説明していました。
 
 L:the Light within(内なる光)
 O:Oneness with God(神と一つであること)
 V:the Vision of God in all(すべてのものの内に神を見ること)
 E:Energy Divine(神性なるエネルギー)
 
 the Light within(内なる光)は内なる意識が清らかで明るい状態のことだと思います。かつてこのブログで取り上げたことがあるのですが、光を使った瞑想(光明瞑想)を日常的に行っていると、意識が少しずつはっきりとしてきて、物質的な光ではないかもしれませんが、自らの内が照らされているような感覚が得られます。光が照らすところに暗闇がないように、内なる意識が光で照らされていると邪な思いがなくなります。
 
 Oneness with God(神と一つであること)。これはもしかしたら日本人には少し難しいかもしれません。私は信仰心とは神あるいは自らの本源とつながっている感覚のことだと理解しているのですが、信仰心のない人が神と一つであると感じることは難しいことです。肉体に基づいた愛、主に家族や親族への愛は制限のある愛ですが、一方神への愛は限りがなく、最も純粋な愛だとされます。神様にさまざまな利益を求めて祈ることはあったとして、神へ向かう愛は高尚なものです。神を愛そうと試みた人は分かるのですが、何かが得られるという打算を越えたものが多少はないと神を愛し続けることはできません。神への愛が確かなもの、絶え間ないものになるにつれ、神と一つである感覚が育まれることでしょう。そして真に神を愛する人は他者をも心から愛するものです。
 
 the Vision of God in all(すべてのものの内に神を見ること)。自らが清められていき、自信が育まれてくると、他者を信じることができるようになります。「すべてのものは神です」とは究極の真理で、そしてそれほどまでに真理とは単純なものです。しかしこの単純なことを生活の中で応用することが私のような凡人には難しくはあります。いい人であっても悪い人であっても、国籍や性別あるいは年齢に寄らずすべての人が神の意志の具現であると見ること。また人間だけでなく、すべての動植物あるいは無機物も神であると見ることができる人は霊的に高い段階にある人の特徴です。日本人はあらゆるもののうちに神を見ようとしてきました。この性質が日本の伝統としてこれからさらに育まれていけばいいと思っています。
 
 Energy Divine(神性なるエネルギー)。愛とは単に人の状態であるだけでなく、人が寄るべき究極の活力です。powering love(力を与える愛)という言葉を聞いたことがありますが、愛にはそういう性質があります。人が年をとっても若くある人というのは、このエネルギーを内にたたえている人のことでしょう。非常に大きな責任を背負った企業経営者や政治家たちが自らの課題に対処するには、この神性なるエネルギーは大きな力になります。この愛のエネルギーが欠けた人は結局のところ権力や金銭の力に頼ることになり、一時的に状況を思うようにできても、国や組織に何らかのひずみをもたらしてしまいます。愛の力というのは、人が道徳的に生き、完璧を求めるときに唯一頼りになるエネルギーといえそうです。自らが活力に満ちて生きるだけでなく、他者にその力を注ぐこともできます。あまり人は愛の力を理解していませんが、人間が頼ることのできる力の中で最も洗練されたものです。
 
 上にあげた四つの性質はその人に愛があるかどうかの指標となります。
 
 愛は人間にとっての究極の目的です。解脱よりも高いところにあると聞きます。愛、愛、愛。ただこの一語のために人生を捧げることができたなら、それ以上にすばらしい人生はありません。私はこのことが頭の中にあるものの、まだ道半ばのひよっこです。愛は万人にとって取り組み甲斐のある仕事です。