愛に生きる

日常生活から少し離れて内省の時間にふと浮かんだ思いを記します。

人工知能と人間的価値

 最近人工知能に関する話題に接することがあります。マイクロソフト社を作ったビル・ゲイツ氏や車椅子の科学者ホーキング博士たちが人工知能の開発が進んだ未来に憂慮を示しています。グーグルが人工知能を搭載した車を開発していて、それを利用すれば、人間が運転しなくても目的地につけるようになるとも聞かれます。また倫理・道徳について人工知能と会話をしている最中に人間が人工知能に叱られたというニュースが一部で話題になりました。人工知能棋士の将棋対局もここ数年毎年ニュースになります。さらには、人工知能によって多くの人間が職業を奪われるとの予測も出ています。

 人工知能と人間の倫理・道徳に関する会話(こちら)を読んでみましたが、人工知能は一丁前のことは「語って」います。語っているとはいっても、人間の言葉に対し、人工知能がその言葉をデータとして処理し、計算し、ある言葉を出力しているだけのことなのですが、字面を見れば一応会話になっています。

 ディープラーニングという画期的な情報処理技術によって人工知能が概念を「理解」しそれに基づいて表現する能力を得たとのことですが、それ以上に人工知能の原理については私はよくわかりません。莫大な情報データを処理するということですが、人間が入力したデータやブログラムの範囲での処理しかできないと思われます。しかしその処理のスピードは人間の能力を超えており、車や電車が移動スピードで人間の能力を超えているように、知能の一部に関しても人間を凌駕していることは認めざるを得ません。

 人間はどのようにして思考をしているかというと、五感を通じて得た外界の情報によって心(ハート)に何かが生じ、その反応として頭(マインド)で思考を始めます。思考は内に生じた動きに基づいています。人が同じものを見たり聞いたとしても、心(ハート)に生じた反応が異なれば、異なることを考えます。何が心に生じるかといえば、その人の生活の置かれた文脈(コンテキスト)、つまり文化や伝統、生活環境や習慣に左右されます。人工知能には厳密に言えばそのような文脈というものはありません。強いて言えば入力されているデータが人工知能の置かれた文脈を規定すると言えるように思います。もし人間が自分の置かれた文脈に配慮をせず、一般的なことばかりに関心があるならば、人間と人工知能の違いがなくなってしまうのではないでしょうか。

 与えられた情報を処理する知能という点では人間は人工知能に勝てなくなる時代が来るでしょう。しかし、人間には知性があります。知性とは心(ハート)と頭(マインド)をつなげるもののことです。人工知能は概念の操作はできるかもしれませんが、道徳や倫理、霊性というような実践的価値(実践を通して体験されるもの)を理解しません。簡単に言ってしまえば、人工知能には人間的価値(真理、ダルマ、平安、愛、非暴力)が欠けています。

Watch your "w"ord. (言葉を見張っておきなさい。=真実)
Watch your "a"ction. (行動を見張っておきなさい。=ダルマ)
Watch your "t"hought. (思いを見張っておきなさい。=平安)
Watch your "c"haracter. (人格を見張っておきなさい。=愛)
Watch your "h"eart. (ハートを見張っておきなさい。=非暴力)

 人間が人間である所以(ゆえん)のものが人間的価値です。現代の教育は知能を発達させることばかりに注力してきましたが、その多くは人工知能によって代替されます。人工知能と共存して行かなくてはならない時代には、人間的価値の教育が一層重要になるように思うのです。人工知能は人間に人間とは何かという問題を投げかけます。