愛に生きる

日常生活から少し離れて内省の時間にふと浮かんだ思いを記します。

意欲・意志

Think within yourself about your condition.Turn your thoughts to God. Then you will realize what you desire.(Baba)
(あなたのコンディション・状況・状態について自ら内省しなさい。あなたの思考を神に向けなさい。そうすれば、あなたはあなたが欲するものを認識するでしょう。)

人にはそれぞれ悩みや問題がありますが、私の小さな悩みというか問題は、時々何もしないでいる状態が長く続くことです。意欲というか意志が働かないような感じで、じっと長い時間何かをしたり考えたりするわけでもなく、静かに過ごしていることがあります。思考が少ないことは良いことなのですが、意欲や意志の働きが必要以上に弱まると実際問題生活に支障が生じかねません。desire(欲望)は特になくてもいいのですが、意欲は多少はあっていいのではないかと思うことがあります。
 
さて冒頭に上げた言葉です。最近目にした言葉ですが、私は自分のコンディションを内省することはしばしば行っています。日々の瞑想がそうですし、私はwatchというマントラにも誠実です。watchとはwatch your Words, watch your Action, watch your Thoughts, watch your Character, watch your Heart.あなたの言葉、行い、思考、キャラクター、ハートを注意してみておきなさい、というマントラです。つまり自分のコンディションについては人に増して注意しているつもりです。自分の思考を神に向けることに関しても、おそらくは平均的日本人に比べればかなり神に思考を向けているはずです。神に語りかけたり、さまざまな文献を注意深く読んでいたりします。意識が超越者に向いていることは確かです。この二つを守っているならば、自分がしたいことを認識・理解できるはずだというのが冒頭の言葉です。
 
まったく何もやりたくないというわけではありません。小さなことでああしよう、こうしようという思いは湧いてきます。ただ自分で心を規制して許可できる範囲内のことであったり、なかったりするわけです。さまざまに時間的にあるいは金銭的に行わないほうがいいかもと自分で考えそれらの思いを実現していないわけです。しかしながら、素直に冒頭の言葉を受け取れば、自分の置かれているコンディションについて考え、神に意識を向けているならば、その際浮かんできた思いは、私の真の思いである可能性が高いわけです。つまり素直にその気持に従って行動を起こせばいいと思われます。
 
自分の心に湧いてきた思いに忠実であろうとすれば、やらないといけないこと(自分で思う自らの義務)をほったらかしにしておかないといけないかもしれないですし、一方こんなことをして過ごしていていいのかという気持ちにもなります。自分が真に欲することと、これまでに培ってきた偏見のようなものとの間に齟齬が生じてしまいます。二つの条件を満たしさえすれば、おそらくは自分の心に浮かんできたことのほうが正しいような気はします。それは自分が考えたことではなく、心に自然にあるいは突如として湧いてきたことです。
 
私に限らず、今の時代には自らの意志や意欲通りに生きれていないことがあるでしょう。悲しいといえば悲しい現実です。自らの心の奥から湧いてきた思いが、内在者の意志であるとするならば、できるだけそれに従うのが好ましいのですが、それは誰もが学ばなければならない課題なのだと思います。私は現在人生の制限が他の人に比べて多少少なくなってきているので、積極的にそういう内なる思いに従って生きる生き方を選んでも構わない立場ではあります。めぐりめぐって、そういう内なるdesire欲求・欲望こそが良心の正体に通じるのかもしれませんし。