日本人の勤勉さ

 私は日本人について時々考えます。日本人の多くは働きものです。仕事をしていないときも、趣味の会に参加したりして、何か一生懸命活動しています。京都大学の先生であった梅棹忠夫先生は、日本人がこれほどまでに勤勉になったのは江戸時代のインダストリアス(勤勉)革命によるものだと解説していましたが、本当に少なくない数の日本人はよく働きます。日本人の労働生産性はあまり高くないという分析もありますが、生産性の低さを労働量でカバーしていると思います。

 人間の成長は主に仕事と食物によってもたらされると言われています。食物については以前書いたので、ここでは書きませんが、仕事が好きな点は日本人の美徳だと思います。日本人の道徳性の高さも、仕事と関わりがあると思います。

 私の師は、人間の成長は、仕事(Work)→帰依・礼拝(Worship)→叡智(Wisdom)の過程を通ると教えてくれました。仕事を心をこめて行い続けていると、それは礼拝へと次第に高まって行き、さらにはそれは霊的知恵をもたらしてくれるということです。日本人には、そのような過程を経て、世界が驚くような知恵に達した人がいます。私は幾人かそういう人を捜してきましたが、私の知らないところにも優れた人はたくさんいると思っています。

 仕事は礼拝へと高まらなくてはなりません。仕事に携わるようになったもともとの動機は、多くの人にとって金銭かもしれませんが、それはきっかけです。自らの義務を誠実に果たし続けていくうちに、それは昇華されていきます。次第に仕事を捧げ物として行うようになっていき、エゴが減っていきます。

 私はときどきインドの聖典『バガヴァッド・ギータ』を読むことがありますが、そこでは、無私の行為の素晴らしさが説かれています。行為だけで人間は成就を得ると言われています。それは崇高なものです。太陽はいつもわたしたちに光とぬくもりを与え、風は私たちに涼を与え、雨は私たちに水をもたらし、大地は私たちの食物を与えてくれ、空間は、私たちに住む場所を提供します。そのように、人間の活動が無私のものとなることは一つの理想であると言えます。

 日本の国は多くの問題を抱えていますが、このような仕事への信仰を失わない限り、日本の国は大丈夫だと思います。