愛に生きる

日常生活から少し離れて内省の時間にふと浮かんだ思いを記します。

平安

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抽象的なことをよくここでは書きますが、そういうふうなものが好きなのだと思います。私は射手座で射手座は12星座の中でもっとも宗教や哲学を好むと聞いたことがありますし、五黄土星生まれでもある私はやはり宗教に少しはなじみがあるのでしょう。といっても、このブログのモチーフは宗教でも哲学でもなく、霊性だと思っています。霊性という言葉は普段あまり使いませんし、私も以前はどういう概念かよくわかりませんでした。何年かの探求のあとでたどり着いた霊性についての私の理解、それをこのブログに書いています。

 私は以前数学を学んでいたので、論理の進め方に気を配る傾向があります。ほとんど理解できなかったのですが、西洋哲学や日本思想を学ぼうともしました。特に西洋哲学は理屈ぽい面があります。それに比べれば、私の書く文章ははるかに詩的だと思っています。読みにくいと感じる方もおられると思いますが、お許しください。

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 私たちは何を求めているでしょうか? 世俗的なことで言えば、富や地位、名誉、家族を求めているかもしれません。あるいは幸せを求めているかもしれません。平穏な生活、良好な人間関係などなど、求めるものはさまざまかもしれません。しかし結局のところ何を求めているでしょうか? 解脱でしょうか? 涅槃でしょうか? 私は、多くの方は完全なる満足を求めているのではないかと思います。

 私がそうでした。自分に厳しいのか、あるいは要求が高いのか、あるいは容易に納得しない性格なのか、さまざまなことに関して満足することがありませんでした。ある意味では貪欲だったのかもしれません。心がせわしなく、満足が得られませんでした。不満で満ちていました。

 平安、それは満足とは違うもののように思われていたのですが、せわしさに疲れたとき、平安を求めるようになりました。大空を飛んでいる鳥が休息を求めて木の枝を探すように。平安、それは心の波立ちがない状態なのですが、何年も求めた末に、少しずつ穏やかで静かな生活が得られるようになってきました。そして平安のうちに満足があることがわかってきました。

 「アサトー マー サッド ガマヤ」(非真より真実へ私たちを導き給え)
 これは平安への道を示すマントラです。非真実、一時的な事物による幸福に生きている中、真実で永続する幸福を神に祈願するものです。

 真実と平安。夜暗い中、長いヒモを見るとヘビと勘違いして怯えてしまうかもしれません。しかし、光で照らされるとそれはヘビではなくヒモであることがわかります。子どもの帰りが遅く、親は心配します。しかし、子どもから「これこれこういうことで遅くなる」と連絡があれば、親は安心します。どちらの場合でも、真実を知ることで心は平安を取り戻します。嘘にまみれた人生が平安であることはありません。真実は平安に不可欠です。より低い真実からより高い真実へと昇っていくことで、平安はより深まります。

 平安を得るには別の方法もあります。愛と忍耐です。例えば夫婦関係。よく聞くのですが、夫婦の間ではときどき争いがあります。そういうときに感情のまま争ってばかりいては、家庭の中は針のむしろのようにとげとげしくなり、居心地の悪いものとなります。相手を思いやる心=愛と、状況を理解しつつも適当にやり過ごす忍耐とによって、夫婦の間は円満を維持することができます。

 ダルマ(法)=正しい行い、振る舞いも平安をもたらします。職場で不正を行っていては、いつバレるか心配で心は落ち着きません。正しい態度と振る舞いで、目の前の仕事を適切に処理していれば、心は騒ぎません。家庭内においても、子どもを放任したり、過保護で甘やかすのではなく、幼い頃からきちんと手本を示し必要なしつけを行っていれば、子どもの非行に悩まされることも減ってきます。

 平安を得るのは、それほど難しいことではありません。しかし、平安が得られるところを探さずに、不安をもたらすものの中に平安を求めている人がいます。一時的なものは一時的なものしかもたらしません。テレビやアイスクリームやお酒の中に永続する満足はあるでしょうか?永続するもの、真実や愛や忍耐やダルマ(法)などの中に平安はあります。平安が得られれば満足が得られます。幸福も実感します。富には何も悪いところはありませんが、それは利便性をもたらすだけで平安や満足とはあまり関係ありません。

 自分が平安でない人は世界を平和に導くことはできないでしょう。世界の平和は大切なことですが、それよりもまず自分やそばにいる人の平安が大事なことだと思います。