法句経

 

私は仏教徒真宗門徒ですので、仏教に関しては普段真宗関係の文献を読むことがほとんどです。若い頃は仏教でもさまざまなことに関心をもってはいたものの、あまりにも広大な領域なので、結局自分の家の宗教に関する文献中心になりました。真宗の文献を読んでいて気づきを与えられることが多いのでそれで満足しています。真宗に関しては少しばかりこのブログで触れたことはあります。おそらく他のどんな宗派でも同じように何らかの学ぶべきことがあっておもしろいのでしょう。

 

さて買ったときのことを覚えていないのですが、書棚に岩波文庫の『ブッダの真理のことば 感興のことば』がおいてあって、しばらく前から時々手にとって読んでいます。「真理のことば」はダンマパダの中村元氏による日本語訳で一般的には法句経の名の方が知られているのではないかと思います。26章423の詩句からなるお経です。一つ一つの句は短く423といっても岩波文庫で60ページほどです。以前読んだときはそれほど思うことはなかったのですが、最近読んでいると味わい深い句が多いのに気づきます。いくつか挙げてみましょう。

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19 「たとえためになることを数多く語るにしても、それを実行しないならば、その人は怠っているのである。―牛飼いが他人の牛を数えているように。彼は修行者の部類には入らない。」 実行の伴わない言葉は怠りにすぎないというわけです。そういう部類の人は霊性の領域にある人ではありません。これを避けるための有効な手段は、行った後にそれを語ることです。
43 「母も父もそのほか親族がしてくれるよりもさらに優れたことを、正しく向けられた心がしてくれる。」 それが母や父や親族よりも優れたことをしてくれるならば、正しく向けられた心を確保することは母や父の庇護から自立することも意味します。たとえば人生の目的を理解していて心がそれを保っているならば、あるいは仕事をしていて心が仕事の目的に焦点を合わせているならば、半分はその目的が達せられたといっていいのかもしれません。
145 「水道をつくる人は水をみちびき、矢をつくる人は矢を矯め、大工は木材を矯め、慎み深い人々は自己をととのえる。」 自己をととのえる、つまり自己のコントロールは慎み深い人に可能であるようです。日々の生活において自分のやっていることを慎重に振り返る時間は大切なのでしょう。

 

他にもたくさん心に響く詩句があります。お釈迦様が短い言葉で人生に必要なことの要点を示してくださっています。この本の後半は「感興のことば」(ウダーナヴァルガ)でこれは33章147ページあります。同じように短い詩句からなっています。

 

私はツイッターをするのですが、何となくお釈迦様の短い句、偈はそれに似た印象をもちます。長いお経はそれなりにいいのですが、「真理のことば」や「感興のことば」のように短いものもそれなりのよさがあります。外出時にカバンに入れて少し時間があるときに目を通すなどできます。他にも短い詩句からなる聖典類には、私が読んだことがあるものでは、歎異抄やバガヴァッド・ギーター、菜根譚などがあり、少しばかりニュアンスに違いがあっても、どれも人生を深めるのに役立つものばかりでした。長い文章をたどる学習もいいのですが、短い詩句をさまざまに味わうのもよさがあります。私は若いときは長い文章を読むことが多かったのですが、最近は幾通りもの解釈を許してくれる豊かな意味を含んだ短い詩句を好んでいます。短歌や俳句の文化のある日本では短い詩句を味わう方が好まれそうな気はするのですが、どうなのでしょうか?