満足(contentment)

 

今日は満足についてです。これまで何度か自己満足(self satisfaction)について触れたことはありますが、それに似た目の前、自分を取り巻く状況への満足(contentment、満たされていること)については初めて書くかもしれません。満足は欲望と対比することができます。欲望は、あれが欲しい、これが欲しいという思いです。何か欠けているという思いが背後にあります。満足は欠けているものはないという思いです。私は全託について時々考えるのですが、全託は信仰の対象にすべてを委ねることですが、満足がないつまり欲望がある状態では全託はできません。欲望がある人はこうしたいああしたいという思いを優先し、委ねることができないからです。つまり全託を考えるならば、満足という徳は身につけておかなければなりません。

 

満足について考えさせてくれるいくつかのツイートを拾ってきました。

・初女さんの答えは「〝いまを生きる〟ことでいますので、これも考えていません。なにも考えてない。でも周りがこういうこと言うの。始終『どうなるの?』『どうなるの?』って。で、〝いま〟より確実なものはないから、いまのことが後のことにつながるのだから、わたしは考えていないんだよって」(西村佳哲
・キリストが「明日のことを心配すべきではない」と言うとき、私たちが完全に無責任になるよう提案しているのではない。「明日について心配すべきでない」ことと、「額に汗して生活費を稼ぐ」ことが合体されるべきだ。この2つが合わさると、見事に自然な人生の言葉を得る。(ラメッシ・バルセカール)
・「自分には何も欠けていない」と知ったとき、「世界」は「あなた」と一つとなる。(老子
・生の神秘に気付きたければ、「今の状況にないものは、そもそも必要ないんだ」と理解すること。実現すべきより素晴らしい境地も、状態も、感覚もありはしない。まさに今いる場所で、それとともにある許可を自分に出せばいい。(J・J・マシューズ)

 

私はこれまであまり満足という徳について考えたことがなかったのですが、結構意義深い徳のようです。初女氏の言葉からわかるように、満足している人はよそ事を考えず、いまを生きるのでしょう。確かにいまほど確実なものはありませんし、いまほど自分が世界と深く関与できる時もありません。何も考えずにいられる人は高尚な人だと思います。
キリストのいうように、満足している人は明日のことを心配しないでしょう。私はかつて一日一歩歩めばいいとこのブログで書きましたが、着実にそして誠実な仕事をたとえ一日一歩だとしてもなしている人は、「明日について心配すべきでない」と「額に汗して生活費を稼ぐ」が合体するのと同じで、明日のことを心配する必要はないような気がします。明日、明日一日分必要なものがあればいいのです。
老子の言葉も深さを湛えたことばです。自分には何も欠けていないとは、完全な満足があるということです。今ある状態で十分だということです。老子はその時「世界」と「自分」が一つになるといいますが、私には伝わってくるものがあります。
「今の状況にないものは、そもそも必要ないんだ」と理解すること。今日一日あるいは今後数日か数週間生きるに必要なものがあれば、着実に今日あるいは今後数日、数週間生きることができるわけです。今日一日生きることなく、あれが欲しい、これが欲しいといっていたら人生を生きることができなくなります。

 

若い頃は心配ばかりしていましたが、最近は着実そして誠実に生活していたら、欲しいものの多くは与えられないかもしれないけど必要なもの+αは確実に与えられるという安心感がえられてきました。それなりに確かな生き方をしていたら、自分にどれだけのものが必要かは何となくわかってくるものです。私は日本人としては貧しい方の部類の人間でしょうが、それでも家の中には使わないものがあふれていて少し困っています。私は今後30年ほど生きるとして、もうすでに読むべき文献のほぼ9割は手に入れていますし、自然災害がなければ死ぬまで住める家もありますし、食べるものはそれほど多くはありません。着るものにも無頓着です。快適で豊かな生活はできなくとも、必要なものに満たされた生活はよほどのことがない限りほぼ確実です。先程も書きましたが、その日一日に必要なものだけあればいいわけです。そしてその必要なものの量というのは実際のところほんのわずかです。私はほどほどに貧しいながらも、しかし他者に分け与えるものすらあります。今の日本に生きることは恵まれています。

 

先週の出発点に戻るということに関連していえば、人は生まれてくるとき何ももたずにやってきて、死ぬときも何ももたずに去っていくわけですから、できるだけ溜め込むのではなく、必要十分なもので満足して、他は分かち合うのがいいのだろうと思います。それが私の目標である全託につながるとも思っています。