聴くとは、動けなくなることだ

 数日前の新聞に載っていた言葉「聴くとは、動けなくなることだ。」(朝日新聞:折々の言葉79)を読んで、長年感じていたことが、私だけのことではないのだと理解しました。

 普通聴くとは、たいてい聴きたいこと、理解できることを聴くことだけれども、本当の「聴く」とは、他人の心の疼き、心の震えに触れて、身じろぎできなくなることだと、コラムの解説にあります。

 自分の話を都合よく解釈されて自分が言ったのとは違った趣旨で受け止められるのがいやなので、丁寧にかつ要を得た話をするようにしています。同時に人の話も自分に都合よく聞くのではなく、丸ごとそのままを受け取るように心がけています。そのせいだか知りませんが、人の話を聞いていて体が痛みを感じることがしばしばあるのです。メールを通じての感応を含めれば週に数回はこのような苦しみを味わっています。頭に張りが生じたり、心が震えたり痛みを感じたり、お腹の辺りがじくじくしたり、足が痙攣するような感じになることもあります。

 私の気のせいかなと思っていたのですが、新聞のコラムに載っていた言葉を読んで、多分私以外の他の人も感じていることなのだと得心が得られました。

 普通人はこのような苦しみを避けます。人の話に耳をふさぐ人がいます。私も嫌なのですが、最近は受け入れるようになってきました。自信をもって日々生きていると、成功するかどうかなどとは別に、生活に満足が得られてきます。その満足が支えです。私に伝わってくる苦しみは多分相手の人が日々感じている苦しみなのだろうと思って日々甘受しています。苦しみは分かち合うことで減るといわれますから。

 時に状態がひどいときには、相手の病を自分の身に引き受けているのではないかとすら思うことがあります。そういうときには、呼吸を整えたり、ゆっくりと休養をとるように心がけたり、散歩などをして気を紛らわせたりしています。

 こういう体験のない人には理解してもらえないかもしれませんが、他にどう解釈していいのかわからないので、上に書いたように今は理解しています。

 人は年をとると身体が硬くなってくるものです。運動不足や老化もあるかもしれませんが、人の話を聞き続けてきて体が動かなくなった男女もいるように思うのです。