愛に生きる

日常生活から少し離れて内省の時間にふと浮かんだ思いを記します。

ローカルとグローバル

 ローカルとグローバルという二つの考え方があります。私はかつて学生のころに論文を書く機会があれば日本語で書きたいと思っていました。病気をしたことで途中で学業をやめ、それを実現することはなかったのですが、20数年前の当時でも英語で論文を書くことが薦められていました。私には日本語の良質の論文がたくさんあれば、外国人が日本と日本語に関心をもってくれるという愛国心のようなものがあったのです。現在は、特に科学の分野では英語で論文を書くのが普通だといわれます。それがグローバル基準になっています。 

 しばらく前に『バカの壁』を書いた養老孟司さんのインタビューを読みました。彼は最初英語で論文を書いていたそうですが、途中からやめて日本語しか書かなくなったそうです。詳しいインタビューの内容は省きますが、彼はグローバル基準で生きることをやめ、ローカルで生きることに腹を決めたそうです。

 日本人のほとんどがローカルな場所、価値観で生きています。日本語だけしか使わない人がほとんどです。そうなると当然日本のメディアにしか目を通しません。時には外国旅行に行く人もいるでしょうが、世界の流れを感じないままに多くの人が生きています。さまざまな分野でガラパゴス化が進んでいるともききます。

 しかし中には毎週世界中を駆け回ったり、外国の地でビジネスを行っている人も少ない数ですがいます。また、現代では海外との貿易なしに日本の経済は成り立たず、外国の動向が日本人の生活に影響を与えることはしばしばです。多くの日本人はローカルに生きているのですが、グローバルな価値観に想像以上に影響を受けているというのも事実でしょう。

 私の尊敬する人の何人かがローカル(地域)での生活を大切にすることを説いています。たとえば藻谷浩介氏やヘレナ・ノーバーグ・ホッジ氏などです。私は昔から根がローカルな人間でした。長く地方に住んできましたし、日本の文化、生活習慣、思考様式を身につけ、見た目も日本人です。ローカルで生きるしか道はないと思っています。ただし、世界の中で孤立して生きていくこともできないので、ローカルに生きつつも、心には世界地図をもち、他国から学ぶべきことは取り入れていきたいという意志もあります。

 養老さんによると夏目漱石がグローバルとローカル(西洋と日本)の価値観の狭間で悩んだことを今の日本人もそのまま悩んでいるといいます。彼の結論は「ローカルを突き詰めてみたらいい。今の日本は、どっしりと落ち着いて、ローカルを本気でやる時期だと思う。」ということなのですが、私もそうだと思っています。

 国以前にまず自分の住んでいる地域、社会のことが大事です。地域社会あっての国。地域で何ができるか、いろいろ考えてはいるのですが、先々何かに取り組み始めてからそれについては語りたい(語る機会があればいい)と思っています。

 私の師の言葉です。「価値は教育のためにあります。教育は人生のためにあるということを、よく覚えておきなさい。人生は愛のためにあり、愛は人間のためにあります。人間は奉仕のためにあり、奉仕は社会のためにあります。社会は科学のためにあり、科学は国家のためにあります。国家は世界のために、世界は平和のためにあります。」

 社会に根ざして一生懸命がんばっていれば、そこから新しい科学が生まれると思うのです。そしてその新しい科学が国を支え作っていくと思うのです。