教育を受けたしるし

イメージ 1



教育を受けたしるしは謙虚さだといいます。学歴や国籍、性別などは関係ありません。私たちは目の前にいる人のことを知ろうといろいろな情報を集めますが、その人が謙虚かどうかを確認すればその人の受けた教育を知ることができます。

 世界にはどの分野においても、とてつもなくすばらしい能力を持った人たちがいます。学問においても、ビジネスにおいても卓越した才能を発揮している人たちがいます。直接そういう人と接する機会がなくとも、本などを通じて、そのような人が世界に存在していることを知ることができます。上には上がいるものです。たとえ、現代にいなくても、歴史を探せば必ず自分より優れた人を見つけることができます。

 個人は地域の中で生活しており、地域は国家によって支えられ、国家は世界の中で発展することができます。世界は地球の生態系の恵みを受けており、地球は、大宇宙の中のほんのほんのちっぽけな点に過ぎません。このことを考えるだけでも、エゴを膨らませることがいかに滑稽かがわかります。

 本当に謙虚な人と謙虚なふりをしている人はすぐにわかります。謙虚な人は本当に謙虚です。また、謙虚さは自己卑下とも異なります。謙虚な人は、エゴやプライド、憎悪、執着などの悪徳と無縁であり、人格が円熟しています。彼は信頼に足る人であり、自らの役割を果たすことで世界を支えます。知識はあるに越したことはないでしょうが、謙虚な人はたとえ知識が少なくとも、それを役立てることができます。謙虚でない人は知識をひけらかします。

 謙虚さといえば、私は野に咲く花や夜空に輝く星を思い浮かべてしまいます。

 この小さな花を摘みとってください、いますぐに! 花が萎れて 塵にまみれはせぬかと、わたしは気がかりなのです。
 そんな小さな花では あなたの花輪に編んでいただけないかもしれません、それでも、あなたの手から伝わる痛みの感触で 花を嘉し、摘みとってください。いつのまにか日が暮れて、献花の時刻が過ぎはせぬかと、わたしは気がかりなのです。
 花の色は淡く、香りは仄かでも、この花をあなたの礼拝に役立ててください、時過ぎぬまに 花を摘んでください。(ギタンジャリ6 タゴール

 謙虚さがあってはじめて、人は社会に場所を得、生活していく基盤が与えられます。謙虚さはたとえようもないほど高価な宝石です。


* "A fool thinks himself to be wise, but a wise man knows himself to be a fool."-William Shakespeare
「愚か者は自分のことを賢いと考えますが、しかし賢明な者は自分が愚か者であることを知っています。」(シェイクスピア