太陽神(アマテラス)と日本人

私の住んでいる地方都市は、古事記の中に2度出てきます。1カ所は神話部分で、もう1カ所は歴史部分です。どちらも全国的に有名な神様だと思います。市内の神社の多くはこれらの神様を祀っています。

天皇家の皇祖神はアマテラス大神です。アマテラスといえば太陽神です。やはり私たちにとって太陽はとても大切な存在だと思います。地球は太陽の熱と光によって育まれてきた星なので、太陽には感謝しても感謝しきれません。地球上の生き物を育むために、自らは熱い熱で包まれています。無私の奉仕の手本ともいえる存在です。

太陽(アマテラス)の素晴らしさについて二宮尊徳が述べていた話が記憶に残っています。二宮尊徳の家は、彼が若い頃非常に苦しい状態にあったのですが、彼は何とかして家を立て直そうとします。自分の家の田畑を耕すだけでは十分ではなかったので、他人の土地で使っていない場所(畦あぜや川べり)を借りて種をまくことを思いつきました。ほかの人は見向きもしない小さな土地だったのですが、尊徳はそこにも太陽の恵みが注がれていることに目が向きました。二宮尊徳は、アマテラスの恵みがあらゆるところに注がれていることに気づき、それが神道の本質であると理解するようになりました。彼はそのような努力を重ね、家を建て直し、その手腕を認められて村の再建などを任されるようになりました。

古代において日本が国を造った際、私たちの祖先は外国から借金をしたわけではありません。大陸の文化の影響は受けたかもしれませんが、私たちはただ(アマテラスに代表される)神の恵みのみを頼りにすべてを作り上げました。私たちは共に協力し、働きました。おそらく他のどの国もそうだと思います。現代は資本主義が世界を席巻しており、ODAなどを頼りに国作りをしている地域もあるかもしれませんが、古代においてはどの国も他国から資本の提供を受けることはなかったと思います。

何もないところから、ただ人々が互いに協力して何かを生み出し、生きていく。祖先から引き継いだこのDNAのおかげで私たち日本人は強制や依存ではなく自由を愛するのだと思います。

霊性とは、くだけた言い方をすれば、生き生きとしていることです。そのような世の中は達成可能だと思います。明治維新で掲げられた理想もこれと変わることはないように思います。