愛に生きる

日常生活から少し離れて内省の時間にふと浮かんだ思いを記します。

光明瞑想

私はちょっとしたきっかけで瞑想を始めました。光明瞑想を教えてもらいました。これは光を瞑想するものです。もともとあまり瞑想には関心がありませんでした。瞑想を10年続けていますが、瞑想について語る資格もないように思います。しかし、いくつか思うことを書きたいと思います。

光明瞑想は光を瞑想するものです。通常瞑想は神の御姿や御名を瞑想の対象とするらしいのですが、御名や御姿は人によって好みがあります。各人が好みのものを瞑想してよいのだと思います。御名や御姿に比べると、光は万人に受け入れられる瞑想の対象ではないかと思います。

光明瞑想の方法を簡単に記しておきます。まず呼吸を整え、きちんとした姿勢で座ります。背筋をピンとまっすぐに伸ばすことが非常に重要です。そしてろうそくの光やその他の光あるいは自分で光を想像し、それを眉間から内に取り込みます。眉間から取り入れた光をハート(胸)に下ろし、その光の中で花のつぼみの花びらが1枚1枚開いていくのを想像します。その後光を手足、胸、おなか、腰、背中そして目、耳、舌などの感覚器官に移し、それらを光で満たすようにします。最後に頭を光で満たし、その光を頭から出して、外界を照らします。両親、家族、親戚、近所の人々、職場の人々、友人・知人、町を歩く人々さらには自分に悪意を持つ人々までを光で照らします。光を山や川、海などの自然、社会、国、世界、宇宙に広げていきます。最後に自分がその光のうちにあり、また光が自分のうちにあり、自分が光とひとつであることを瞑想します。その状態で、しばらく過ごします。

私はとても瞑想が苦手でした。体や人々を光で順に照らしていくことがなかなかできませんでした。雑念が次々と湧いてきて、1,2分も目をつむっておくことができませんでした。そういう状態が6年も7年も続きました。しかし少しずつ習慣になってきました。毎日お風呂に入らないと気持ちが悪いように、今ではこの光の瞑想をしないと心の中が気持ち悪くて一日をはじめることができないようになりました。現在は日によって1,2分のこともあれば10分程度瞑想を行うこともありますが、毎日続けています。

瞑想はヨーガだと思います。ヨーガといえば、日本では体である種のポーズを取ることと理解する人が多いのですが、もともとは「神(超越者)との合一」という意味です。つまり神(超越者)と自分がひとつになることです。光は超越者のひとつの姿であり、光との合一を目指すもの(自分と光を同一視すること)が光明瞑想です。

現在数多くの瞑想方法があるそうです。私はそのほとんどすべてについて知りません。実践しているのは光明瞑想と心を落ち着けて目をつむってただ座る座禅だけです。(本当は座禅の理解もこれでいいのかわかりません)。瞑想の中には非常に危険なものがあるそうです。中途半端な知識で行うとエネルギーや精神のバランスを崩し、健康に多大な害があるそうです。ですので、瞑想をやりたい人は、何年も何年もその瞑想をし人格が円熟している人について行うのが安全だと思います。光明瞑想についての本も出ています。

光明瞑想の方法は単純といえば単純です。光で自分と周囲の人を照らすことなのですから。感覚器官や行動器官(手足など)を光で照らし続けていると、悪いものを見たり、聞いたりすることを避けるようになり、行動も善良なものへと自然に変わっていきます。周囲の人を光で照らし続けていると、彼らと少しずつ愛の関係を築けるようになってきます。また、思考も言葉も愛に沿ったものへと変わってきます。心もコントロールできるようになります。時間はかかりますが、着実で安全な瞑想法だと思います。