愛に生きる

日常生活から少し離れて内省の時間にふと浮かんだ思いを記します。

信託財産とお金の循環

お金持ちは財産を信託銀行や株式などに信託しています。もし自分の預けた財産が不適切な用いられ方をすれば、預けた人は怒ることでしょう。

ところで、私たちは死ぬとき、わずかばかりのお金すら持っていくことができません。親しい人を連れて行くこともできません。ひと握りの砂さえも持っていくことはできません。私たちは行き先も告げずに、どこかへ旅立ちます。死ぬときに持っていくことのできないものは、本当はその人のものではないと思います。では、私たちの身の回りにあるものは誰のものなのでしょうか?

銀行員は毎日何千万、何億ものお金を扱っています。しかし、それらは彼らのものではありません。多くの公務員やサラリーマンは職場に行きます。そこにはロッカーや机があり、それを使いますが、それらは彼らのものではありません。一方、家に帰ると、これは私の家、私のテレビ、私の食器、私のベッドなどといいます。しかし、本当はそれらは誰のものなのでしょうか? 先程も言ったように、死ぬときに持っていくことのできないものは、その人のものではないと思います。

私たちの身の回りにあるものを、信託財産とみなせばどうでしょうか?私たちに管理が任された財産です。それは浪費すべきでなく、正しく用いなければなりません。子は親を通じてこの世にやってきますが、親のものではありません。お金は働けば手に入りますが、働く場を与え、貨幣に信用を与えているのは私たち自身ではありません。お金は来ては去りますが、私たちは手元にある財産を有効に正しく用いるべきです。本質的なことを言えば、私たちは財産を正しく用いる責任はありますが、多分それを私のものだと主張する権利はないでしょう。

お金は社会の血液のようなものだと言われます。私もその通りだと思います。お金は動いていてこそ機能するものだと思います。血液が体の一カ所に溜まれば体が腐って腫瘍ができるように、お金もどこかに滞留すれば、社会が病んでいきます(今の日本にはそういうところがあるという話を聞きました)。あまり経済のことには詳しくないのですが、GNPとは、どれだけお金の所有者が変わったかを表す指標だそうです。物を買ってお金の所有者が変われば、それはGNPに寄与することになり、会社が従業員に給与を支払えばGNPに寄与するそうです。この論理で行くと人々が病気になれば病気になるほど医療にまつわるお金が移動しますから、GNPには負の側面もあるといえます。GNPがやみくもに増えればいいというふうには思えませんが、お金が移動すること自体は良いことだと思います。手元にあるお金や財産を正しく用いて良い循環ができることで社会全体の富が蓄積されていくのだと思います。

『一番の「エコ」は、とことん、使うこと』という標語を目にしたことがあります。新車を買うと燃費は良くなりますが、新しい車を作るのに莫大なエネルギーが必要なので、買う場合よりは大切に今ある車に乗り続けるほうがいいのではないかということでこの標語が考えられたそうです。物やお金を大切に使い、良いものを分かち合うということに私はここ数年こだわっています。縄文時代や江戸時代は資源が社会全体で循環していたと言われていますが、物づくりは今後も大切にしつつ、浪費せずに物を大切に使うことも日本のお家芸と言えるようになればいいと思います。