バガヴァッド・ギータ

『バガヴァッド・ギータ』はインドが世界に誇る聖典です。聖書に次いで世界で読まれている本だと以前聞いたことがあります。『バガヴァッド・ギータ』は「神の歌」という意味で、インドの叙事詩マハーバーラタ』含まれています。

『バガヴァッド・ギータ』は、神の化身クリシュナがアルジュナという有徳の人物に説いたものです。インドでは神の化身(アヴァター)信仰があり、この宇宙を創造した神御自身が人間の姿をとって地上に現れると信じられています。(ヒッチコックが自分の監督した映画に出演するようなものです。)クリシュナはそのアヴァター(神の化身)とされています。

約5000年前インドにおいて善良なパーンダヴァ兄弟とその従兄弟で邪悪なカウラヴァ兄弟たちが戦いを交えることになりました。その戦いを前にしてパンダヴァ兄弟のアルジュナが戦いに疑問を抱いたとき、クリシュナがアルジュナを奮い立たせたものが『バガヴァッド・ギータ』です。これは、アルジュナ一人に対して説かれたものではなく、善と悪のジレンマに直面したすべての人に説かれたものとされます。

『ギータ』は歌という意味ですが、神の化身クリシュナは何百万人もの人が死に至るであろう大きな戦いを前にし、至福に満ちて歌を歌いました。インドが誇るヴェーダのエッセンスがウパニシャッドであり、そのウパニシャッドのエッセンスがこの『ギータ』の一つひとつの詩節に凝縮されています。700ほどの詩節からなっていますが、そのただ一つでも誠実に実践すれば、人は平安を獲得できると言われています。

この『バガヴァッド・ギータ』の日本語訳がいくつかありますが、私は岩波文庫の『バガヴァッド・ギータ』を読んでいます。あまりよい読者ではないのですが、それでもこの本からいくつかを学びました。

「自己の義務(ダルマ)の遂行は、不完全でも、善く遂行された他者の義務に勝る。自己の義務に死ぬことは幸せである。他者の義務を行うことは危険である。」(第3章35節)

私はしばしば他人のしていることが気になることがありました。よせばいいのに、人に対して口出しし、そればかりではなく、その人がしていることに自分が関与しようとすることもありました。ですが、この詩節を読んでからそのようなことは少しずつ控えるようになりました。人にはそれぞれ与えられた義務、本分、為さなくてはならぬ務めがあり、それはその人の成長のために割り当てられたものだと考えるようになりました。自分の目の前にある仕事に集中して、それをきちんとやり遂げることに集中するようになりました。自分の与えられた務めに人生を捧げることは望ましいことですが、他人に与えられた務めを行うことはしてはいけないことのように思うようになりました。ただ単にしてはいけないのではなく、ギータに書かれているように、危険ですらあるように思えてきました。

「万物の夜において、自己を制する聖者は目覚める。万物が目覚めるとき、それは見つつある聖者の夜である。」(第2章69節)

私は最初この詩節を読んだ時とりこになりました。とても文学的な表現です。世間の人が活発に活動している領域において聖者はある意味眠った状態であり、他の人が眠りについている霊性の領域において聖者は目を覚ましているような感覚があったからです。これは夜と昼にたとえられた世俗と霊性(あるいは感覚より下の領域と感覚より上)の領域を見事に表現している詩節だと思います。これは昼夜逆転不眠症の人間を記述した個所でも、聖者が世俗に無関与であるということを表現した個所でもなく、霊の世界に目覚めた人を記述した詩節だと思います。霊の世界は私の言葉で簡単に言うと、人間が体と心と霊が組み合わさってできているということを自覚するということ、人間の本質が愛であるということです。

岩波文庫の『バガヴァッド・ギータ』はあまりよい訳とは思わないのですが、それでも多くの甘露をそこから引き出すことができます。私は最初その面白さがわからなかったのですが、次第に参照する機会が多くなりました。