愛に生きる

日常生活から少し離れて内省の時間にふと浮かんだ思いを記します。

自分が変われば世界が変わる

 以前からか、あるいはことに最近になってからなのかわかりませんが、「自分が変われば世界が変わる」という言葉を聞くことがまああります。私もこの言葉をかなり前から知っていました。しかしその意味は深いものがあり、なかなか理解できなかったのは事実です。
 
 自分が変わるというのは、主に自らの人に対する態度を変えたり、あるいは世界で起きている事柄を肯定的に受け止めるようにすることだと理解してきて、そのように10年かそれ以上の期間そういうふうに心がけてきたのですが、たとえば周囲の人の私に対する態度や世界の状況はそれに対応して変化したようには思えませんでした。
 
 確かに何かことに取り組む上で動機の善良さや純粋さを心がけたり、あるいは否定的に考える癖がなくなったことは私個人にとってはよかったことであり、私自身が成長したことは確かです。しかし世界あるいは周囲の状況がどれだけそれに伴って変わったかはあまり知覚できません。
 
 強いていえば、心(ハート)を広げる、あるいは視野を広げることで、自分の抱える問題がそれほど大したことでないと受け止められるようになったことは確かで、世界の見え方は変わりました。一つのことばかり考えずに、食わず嫌いをせずに、人が目を向けないものにも目を向けることが生きることの楽しさを教えてはくれました。しかし何度もいいますが、たとえば身近な人の性質が変わったかといえばそうではないといったほうが正確に思います。
 
 自分が変わるということを自分の心を変えることと受け止めれば、もしかしたらそれほど大きな効果はないのかもしれません。
 
 世界が変わるということを求めるならば、自分の心を変えることよりもむしろ、付き合う人間を変えることのほうがはるかに影響が大きいのではないかと思えます。「自分が変われば世界が変わる」というとき、変えるべき自分の何かの少なくとも半分以上は「付き合う人間」だと最近思うようになりました。
 
 人の影響力は多大です。人は皆言葉や見かけからは気づきにくい磁場のようなものを発しています。鉄片は磁石の近くに置くと自らが磁石になります。つまり人の強い影響力のもとにいると、自らが自らでいられなくなり他人の支配下におかれたりする可能性があるということです。
 
 100gの牛乳に10gの水を混ぜても牛乳の質はそれほど落ちません。しかし100gの水に10gの牛乳を混ぜるとそれは牛乳といえるものではありません。つまり悪い人が善い人と交わることは問題ないのですが、善い人が悪い人と交わると人生をだめにしてしまうということです。
 
 できるだけ善い人と付き合うことです。誰が善い人か。その人と共に長い間いることで、想念特に悪い想念が減ってくるなら、その人はよい人である可能性が高いです。洗濯物を洗うと汚れが浮き出てくるように、浄化の過程として一時的に悪い想念が浮かぶことはありますが、本当に善い人と共にいれば、その悪い想念はそう長続きしません。
 
 付き合う人を簡単に変えることができなくても、人との距離感を変えることは比較的容易にできます。このように人間関係を変えていけば、その人間関係を通じて体験できる世界は容易に変わります。そして付随するものとして自分の心も変わります。
 
 そう「自分が変われば世界が変わる」の半分以上もしかしたら8~9割近くは人間関係に関わることなのかもしれません。