愛に生きる

日常生活から少し離れて内省の時間にふと浮かんだ思いを記します。

全託3

 自分がこだわっているテーマ、しかもなかなか結論の出てこないことに関して人は繰り返し考えたり書いたりするようです。全託というテーマは私のとってそのようなものの一つです。

 今日は心(マインド)を捧げることについて書こうと思います

 心(マインド)の状態からいうと、全託しているとき、心はせわしく動き回るのではなく、落ち着いて静かであるとききます。全託とは全面的に自分の力だけで解決することを放棄し、大いなるものを信頼し解決を委ねるものであり、自分の望むとおりにではなく、自分の信頼する神がいいと思うとおりの解決を受け入れることです。

 何も問題がないときは心は比較的穏やかなのですが、問題それも危機的なものであるほど、普通、人の心は騒ぎます。心を落ち着けるのは大変な課題です。

 全託できるかどうかは、心(マインド)を全託することができるかどうかにかかっていると思います。心(マインド)を全託するということに関して少し前に気づきがありました。

 頭(マインド)とハートというものが人間にあって、霊的なハートは人の胸の右側にあるとされますが、普段人は頭に従って生きています。しかし識別を働かすには、ハートの指示に従わなくてはなりません。ハートとマインド(頭)をつなげるものをブッディ(知性)とインドではいいます。仏教でいうブッダとはブッディを備えたもののこととされます。ブッディを備えたものはハートの指示に従って生き、ハートの声とは良心ともいわれますし、神の意志であるともされます。私にとってはハートの声は音や言葉ではなく、何となく伝わってくるかすかで無言の「指示」なのですが。

 ブッディの力を育むには、つまりハートとマインドをつなげるには、瞑想などが役に立つとされます。

 頭とハートがつながっている状態において、頭が機械のように自動的に計算するような感じになることがあります。そういう状態のとき、自分のこだわりを一切捨てて、頭が自動的に動くに任せるのですが、あるとき何らかの結論に達し、あとは判断する(それを実行するかどうか)だけの状態になります。私は最近可能な限り、自動的に計算された結果に従うようにしています。それが頭(マインド)をハートすなわち真の自己に委ねることではないかと思うようになってきたからです。

 ハートの指示は、時にある種の試みを促すこともあるのですが、同時に世界と社会に頼ることを教えてくれることや、またゆっくりと事態が推移するのを見守るように促すこともあります。それはケースバイケースのようです。

 (魂も含めて)すべてを委ねることには時間がかかるかもしれませんが、心(マインド)を委ねることからまずははじめてみようと最近心がけています。