愛に生きる

日常生活から少し離れて内省の時間にふと浮かんだ思いを記します。

霊性における平等

 いつもの愚痴になりますが、暑い日々がずっと続いていて、私だけではないのですが、今年は本当に厳しさを感じさせる夏だと思っています。台風で雨や風の強いところもある(あった)ようですが、どうぞ気をつけられてください。

 この世の中にはさまざまに不平等なことがあります。さまざまな才能、家庭環境、健康、容姿等々です。不平等というのは不適切かもしれませんが、生まれてくる国によって生活のありようも変わってきます。

 しかしながら、こと霊性に関していえば不平等はまったくないといっていいのではないでしょうか? たとえば瞑想。瞑想するのに必要なのは最低限5~10分くらいの時間と座る半畳ほどのスペースだけ。神仏の御名やマントラを唱えるのもお金はかかりません。奉仕をする際も、大規模な金銭的な支援などは別ですが、普段から人に対して愛と笑顔でもって接することも奉仕ですし、人を傷つけないように振舞うことも奉仕。家事も立派な奉仕なら、給料に見合っただけ働くことも奉仕。平和を祈ることも。お金をかけないで、あるいはお金がかかってもわずかな金額でできることはたくさんあります。

 霊的な学習をする際には、たくさんの本は必要ありません。仏教なら、難しい本でなく簡単な本(たとえば法句経)を読み込めばいいですし、キリスト教徒なら聖書で十分でしょう。また私などはバガヴァッド・ギーターにことあるごとに目を通していますが、(本の選択は少し難しい面はあるにしろ)古典といわれるものが数冊あれば事足ります。買っても数千円で十分な学びを得られるものをそろえることができます。

 霊性の学びを深めるのに、頭の良し悪しは関係ありません。たくさんのことを理解する必要はなく、もし本当にそれを深く理解するならば、たった一つだけで十分だと聞きます。お釈迦様の弟子に周利槃特(しゅりはんどく)という人もいました。(この方については検索すればいろいろな情報が出てきます)霊性の学びを深める唯一つの要因は(自分が携わっていることの意義を理解した上での)誠実さだけではないかと思います。

 実際のところ、この世の喜び・幸せは一時的なもので、真の喜び・幸せは霊的な喜びだとされますし、人間が生まれてきた目的は涅槃(持続する至福)といわれているなか、霊性を深めることは人生の本質にかかわることです。そしてこの人生の本質にかかわるところにおいて、不平等がありません。

 生活費に困窮しているならば、あるだけで工夫することが識別を高めることになるでしょうし、たくさんの電気機器を買い揃えることができないならば、たとえば冷房がなくても、暑さに耐えつつ「神様どうかしてくれませんか?」と神を憶念する機会にすることができます。あるいは暑い中ふと頬を撫でるそよ風に神が近くで慰めてくれていることを感じれます。
 また深い苦悩でさえ、神と真剣に会話するきっかけになります。

 霊性という視点が欠ければ、なぜこの世で生きなければならないのかという疑問に取り付かれてしまうことがありますが、霊性という視点をもちさえすれば、人生どんな境遇にあっても、まんざらでないかもと思えてきます。

 課題は、多くの人がこのことを知らされるべきではないかという点なのですが。