愛に生きる

日常生活から少し離れて内省の時間にふと浮かんだ思いを記します。

インド哲学とヨーロッパ哲学

 日本人にとって哲学といえばヨーロッパ哲学あるいはもしかしたら儒教なども含めるかもしれませんが、そういうものをいうのではないでしょうか? 主に思弁(実践や経験を介さないで、純粋な思惟・理性のみによって事物の真相に到達しようとすること)によって何かを理解する働きと考えられているのではないでしょうか? 確かにそういうものの中に優れた書物もあるのですが、理解するのが難しいばかりで内容があまりないものも多くあります。そういうものばかり読んでいると、結局のところ「頭でっかち」になります。

 思弁が好きな人はインド哲学も同じようなものだと受け取っています。確かにインド哲学の中にはそういうものも含まれてはいますが、しかしインド哲学はヨーロッパ哲学とは根本的に異なるものです。

 ヨーロッパ哲学では、誰かが何かアイデアを思いついたらそれを人々の前で発表して喝采を得ます。つまりそういう類のものです。

 しかしインド哲学はそういうものではありません。インドでは何かアイデアを思いついたならば、その人はそれを実行に移します。そして何年かにわたるその実践の結果自分がどう変容したかを人々の目にさらします。そういうものです。インドの聖者たちは皆そうです。インドでは不二一元論が最高の哲学とされていますが、苦行ともいえる霊性修行の果てにそれに到達した人々がいます。それは認識というよりも存在そのものによる哲学の証です。

 考えたことを発表することが中心の哲学は言葉中心で、時に空虚なものとなります。しかし実践が最初にあり、存在そのものによって実現された哲学からは言葉は少ないかもしれませんが、実質が伴っています。

 日本でもインド流の哲学が広まればいいと思っています。

 幸福論について書かれた本がいくつかありますが、それらを読んで、あるいは人からヒントを得て、いくつかのことを実践し、そして心の底から幸福になった人がいれば、その人は真の哲学者でしょう。

 世の中には利他あるいは奉仕に関する本もたくさんあります。それらを読んで、あるいは人から学んで、本当に無私の奉仕ができるようになったとすれば、その人は真の哲学者でしょう。

 人は皆「哲学者」としての素養を持っているのではないでしょうか? 哲学は結構楽しいもののように思います。

→「私にとって哲学とは」(こちら