しかしインド哲学はそういうものではありません。インドでは何かアイデアを思いついたならば、その人はそれを実行に移します。そして何年かにわたるその実践の結果自分がどう変容したかを人々の目にさらします。そういうものです。インドの聖者たちは皆そうです。インドでは不二一元論が最高の哲学とされていますが、苦行ともいえる霊性修行の果てにそれに到達した人々がいます。それは認識というよりも存在そのものによる哲学の証です。
考えたことを発表することが中心の哲学は言葉中心で、時に空虚なものとなります。しかし実践が最初にあり、存在そのものによって実現された哲学からは言葉は少ないかもしれませんが、実質が伴っています。
日本でもインド流の哲学が広まればいいと思っています。
幸福論について書かれた本がいくつかありますが、それらを読んで、あるいは人からヒントを得て、いくつかのことを実践し、そして心の底から幸福になった人がいれば、その人は真の哲学者でしょう。
世の中には利他あるいは奉仕に関する本もたくさんあります。それらを読んで、あるいは人から学んで、本当に無私の奉仕ができるようになったとすれば、その人は真の哲学者でしょう。
人は皆「哲学者」としての素養を持っているのではないでしょうか? 哲学は結構楽しいもののように思います。
→「私にとって哲学とは」(こちら)