愛に生きる

日常生活から少し離れて内省の時間にふと浮かんだ思いを記します。

表象1

 私は哲学(といっても正統なものではないです)が好きですが、ここ何年か気になっている一つの概念があります。それは「表象」というものです。
 ウィキペディアによれば、表象(representation)の一般的な意味は、「知覚したイメージを記憶に保ち、再び心のうちに表れた作用をいう(イメージそのものを含めて呼ぶこともある)が、元来はなにか(に代わって)他のことを指す」というものです。

 この表象という言葉は、意味がよくわからないままに20年以上前から接することがありました。しかし1年くらい前でしょうか、以下のシュタイナーの言葉により心がより惹かれるようになりました。

 「外界との関係を豊かな内容あるものにしようと思うなら、自分の感情や表象を大切に育てなければならない」
 「表象とは個体化された概念である。だからこそ現実の事物を表象が表現できるのだ」

 例えば過去の記憶が長く心に残っている場合、それはその場の風景などと共に思い出すことができます。その場に直接出向かなくても、その場の風景の(心に思い描かれた)一つの映像が、それにまつわる多くの記憶を引き出してくれます。表象とは、ここでは(心に思い描かれた)その一つの具体的な映像とそれに関する記憶の全体のことです。

 私はサイババのいるインドに行った人を何人か知っていますが、サイババの姿を見て強烈な印象を受けて帰ってきた人が中にいます。その人たちにとっては、サイババから長い間遠い距離を離れていても、いつでもサイババの姿を心の目で思い浮かべることができるようです。
 サイババの肉体は身長が160センチかその前後で、また6年半前にサイババは肉体を去りましたら、肉体そのものはいつかなくなってしまう有限なものです。しかし彼と会った記憶は時間と空間を越えて人の心に残ります。サイババの肉体と人の記憶のどちらが長くもちこたえることができるかといえば、人の記憶なわけです。つまり表象というものにはそういう働きがあるわけです。

 また別の例ですが、自分の親が亡くなっても子の心には「親はこういう存在であった」という記憶が親の写真などと共に残るわけですが、そういうものはみな表象といえます。親が亡くなっても親は子の心に生きつづけています。

 シュタイナーの言葉によれば、人は感情によって外界と関わり、表象によって世界を理解しているのであって、おそらく人にとっての世界の本質とは、実際のところ心の中にある感情と表象のことなのかもしれません。人は心を生きているといえます。

 話はだいぶ変わりますが、ブランディングという言葉があります。この意味は、「ブランドに対する共感や信頼などを通じて顧客にとっての価値を高めていく、企業と組織のマーケティング戦略の一つ」とされます。(ウィキペディア

 このブランディングは商業的な表象の形成のことであって、一つのブランドが顧客に多種多様な意味をもたらすように、表象は単に個人的で思弁的なものというわけではありません。もしかしたら近代国家もひとつの表象に過ぎません。国家(nation)は一つのアイデアに他ならないという人も世の中にはいるわけですから。

 私が学生時分に学んでいた数学も表象にかかわるものです。この表象という言葉は結構奥が深いものではないかと思っています。
 しかしながら、今は十分にそれについて書くことができませんので、先々考えがまとまってきたら、表象2、表象3・・・と題して書いていけたらと思っているところです。