表象2

 前回の記事を書いてからまた表象について考えてみました。シュタイナーは次のようにいっています。
 「外界との関係を豊かな内容あるものにしようと思うなら、自分の感情や表象を大切に育てなければならない」
 そう表象は大切に育てるもの。今日は表象を育てるということについてです。
 
 感情が豊かな人という表現がありますが、感情が欠けたように見える人よりも感情が豊かな人のほうが人間味にあふれているように見えます。それと同じように、表象が豊かな人とそうでない人とでは人間として受ける印象が違うかも知れません。音楽などで情操教育を行う家庭がありますが、同じように表象を育む教育もあるはず。
 
 一つ聞いたことがあるのですが、編み物は子どもの教育にいいそうです。編み物に限ったことではないのですが、自分の食物や衣服を整えることに関する教育は好ましいと思うのですが、私も時々する編み物について今日は取り上げます。
 まず、自分の衣服を整えることができると心のどこかで安心感があります。生活必需品に不必要なお金をかけなくてすむという面もありますし、(腕が上がれば)自分の好みのものをつくれること、また自分の創造性を実感する点でも。
 次に、編み物のデザインを考えることで美的感覚が育まれること。さらに、目数や段数の計算で算数の知識が身につき生活と数が関係していると理解できること。編み物は何千何万もの目を編まなくてはならず根気を育むことができること。さらに、出来上がったものを実際に着るという実用。家族の誰かのために編むならば思いやりや愛の感情を心に抱くこともできますし、他にも効用はあるでしょう。
 
 つまり、例えば一着のセーターを編み上げたならば、その一着を編む過程で、心の中にかなり豊かな思考・感情・想像が働くということです。それは一つの表象を育むことといえるのではないでしょうか?
 同様に、例えば味噌を家庭で作るという一つのことにおいても表象が育まれるような気がします。
 
 もう一つまったく別の表象の育み方についてですが、例えばクリスチャンが「イエス、イエス」とイエスの御名を唱えるとします。イエスに関しては聖書にさまざまなエピソードが記されています。それらのエピソードのうちいくつかでも自分の心に訴えかけるものを心の目に思い浮かべながら「イエス、イエス」とある程度長い時間となえ続けるならば、それによってイエスという御名にさまざまな映像や感情、概念、信仰心などを注ぐことになり、イエスという存在に対する表象を作り上げることになると思うのです。
 真宗南無阿弥陀仏も同じです。
 
 あるいは他にもインドにはヴェーダをはじめさまざまなマントラがありますが、そのマントラの意味を憶念しながら繰り返し繰り返し唱える内に、何らかの神格やダルマ(人生における正しい生き方のようなもの)に関する表象が育まれていくでしょう。
 
 表象が豊かであればあるほど、その人にとっての世界も豊かになっていくはず。きっと他にも表象を育む方法はたくさんあって、表象という観点から教育を考え、そして深めていくこともできるだろうと思うのです。