愛に生きる

日常生活から少し離れて内省の時間にふと浮かんだ思いを記します。

マントラを唱えるときに心に思うこと

 マントラという言葉を含む記事をこれまでに10程度書いてきました。人はヤントラ(機械)を作りますが、マントラは人を作るといわれます。多分ですが、マントラの意味を瞑想するとき、どのように瞑想するか(どのように想いをめぐらせるか)は自由です。この想いが人の態度や行動を方向付け、それが習慣となり次第に人が形作られていきます。

 たとえばプラナヴァ(オーム)(こちら参照)。ただお臍から音を出し、口腔で音を膨らませ、唇を閉じることで音を終えることを行うだけでもいいのですが、これを唱えるときにも意味を考えることがあります。音を発するときに創造を、音を膨らませるときに維持を、音を閉じるときに破壊を、つまり創造・維持・破壊の三位一体の神を思います。
 あるいは、プラナヴァとは耳をふさいだときにそこに響くゴーとうなる原初の音のことですが、人が唱えるオームの音はそれに比べて浅さを感じることがあります。そういうときには、人間のエゴの卑小さを思い、深みのある宇宙に満ちるプラナヴァの前に謙虚であることを思います。
 あるいは意味を考えずとも、声をしっかり出すことで、その音を肉体に染み渡らせ、その波動を感じることを楽しむこともあります。

 ソーハム(こちら参照)というマントラを唱えるときにもさまざまに想像をめぐらせます。息を吸うときに生じる音がソー(それ=神)で、息を吐くときに生じる音がハム(私=自分)です。息を吸うときソーをいう音を意識しながら神を吸い込むようにし、息を吐くときにハムという音を意識しながらエゴを手放すことを念頭に起きます。
 あるときは、息を吸うときソーという音を意識しながら、自分の内も外もそして宇宙全体をも満たす神を思い浮かべ、ハムという音を立てながら息を吐くときは、私はその思い浮かべた神ご自身であることを意識に刻みます。

 崇める神仏の御名もマントラです。聖典などを通じてその御名に関するエピソードあるいは特別な意味を知っているならば、御名を唱えるときに同時にそのエピソードや特別な意味を思い起こします。

 ガヤトリーマントラについても何回か書いていますが、ガヤトリーマントラは上にあげた三つに比べて長いのでずっと複雑です。一つ一つの言葉の意味を思い浮かべることもあれば、一つ一つの節の意味を思い浮かべることもあります。また、ガヤトリー女神を思い浮かべることもあれば、私は最近ヤントラ(マントラを表す神聖な図形)を使うこともあるのですが、その図形に目を集中させて図形の意味を探ることもあります。

 マントラではありませんがプラーナヤマ(呼吸法:こちら参照)を行うときにも、思いをめぐらせています。2秒間吸うときには良いものを取り込んでいると自分に言い聞かせ、4秒間吐くときには悪いものを吐き出していると言い聞かせ、8秒間息を止めているときは、良いものと悪いものを交換しているとイメージします。
 また息を吸うときは神の愛を取り入れることを思い、息を吐くときは奉仕を捧げることを思い、息を止めているときは真実の生活を送ることをイメージしています。

 最初に書きましたように、マントラの意味をどのように汲み取るかは多分自由です(もちろん言葉の基本的な意味は知っておいた上でのことですが)。マントラを構成する一つ一つの言葉から汲み取ったものは、私たちの霊的な食物になりますし、それが思考と行動を促し、人生を方向付けていきます。

 マントラは人を作る。間違いないと思います。