愛に生きる

日常生活から少し離れて内省の時間にふと浮かんだ思いを記します。

仏教

 自分の記事を検索してみると、仏教の内容を含む記事はいくつかあったのですが、「仏教」のタイトルで今まで一度も書いたことがありませんでした。これまでに書いた内容と重なる部分もありますが、今日は仏教について自分の思うところを簡単にまとめてみました。

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 日本では多くの人が仏教徒なのだと思います。とはいっても定期的にお寺にお参りしている人はそう多くはないでしょうが。

 一部の人はお釈迦様は無神論者だと言います。それはお釈迦様が人に「神はいるか?」と聞かれて黙っていたために生じた誤解とされます。現代にもたくさんいますが、無益な議論が好きな人はお釈迦様が生きていたインドにもたくさんいたようで、お釈迦様は神はいる、いないという無用な議論をして時間を無駄にしたくなかったがゆえに、神の存在を聞かれたときに沈黙を守ったとされます。しかし実際にはお釈迦様は深く神の存在を信じていて、自身は愛に満ちていたと聞きます。

 お釈迦様は当時宗教をつくろうとは思っていなかったと思います。自己実現=悟りを実現し不二一元の境地に達し、至福に満たされていたのですが、請われてその体験を人に語るようになった。その言葉が後に仏典となりました。(至高)神という概念を中心とせずに論は展開されています(帝釈天や吉祥天、真如などは出てきますが)。神という概念を前面に出さない点は他の宗教と異なっているように思います。私が聞くところによると、宗教の目的は自己実現だといいます。ですので、お釈迦様が自己実現=悟りについて語り、そのための道を示したことは、神という概念を多用しなくても、本来の宗教の目的に叶うことです。

 かつてお寺に参ったとき説法師さんが、宗教の宗は中心という意味で、だから宗教とは中心となる教えのことですと語りました。それぞれの宗派にはそれぞれ特徴的な教えがあるでしょうが仏教の中心となる教えは、八正道と、三帰依文だと私は理解しています。正しく聞くこと、正しく見ること、正しく思うこと、正しく語ること、正しく生活することなどが八正道で、仏法僧に帰依すること、つまり正しく悟った方やブッディ(知性)を正しく用いる方(仏)、ダルマ・正しい行い(法)、社会・良き人たちの集まり(僧)に従うことが、三帰依文です。この八正道と三帰依文に加え、自分の宗派の中心となる教えに従えば、それで立派な人間になれると思います。私は法句経(ダンマパダ)も好きなので、それにも時々目を通しています。

 「我以外皆我が師」という言葉もあるように、誰からも学ぶことはできるのですが、やはり自己実現=悟りを実現した方の教えは本物です。人間として成長するには、どうすればいいか? 動物と神との間に現れた人間という存在に関心のある私はお釈迦様の教えは正しく真実な教えだと思うのです。