理想―人の力を引き出すもの

 「力への意志」。確かニーチェの言葉だと思います。力といえば権力や軍事力のことを思い浮かべ、否定的な印象をもっていらっしゃる方もいるかもしれませんが、私は人が力を求め、身につけることはいいことだと思います。体力、知力、心の力、霊的力、経済力、コミュニケーション力、さらにさまざまな能力です。大切なのはそれらの力を正しく用いることであって、それらの力そのものには善も悪もないと思うのです。

 西洋で科学が発達したのは、単に知的好奇心のためだけではないでしょう。それは技術となり、自然から力を引き出すことを可能にしたからです。電気の力、磁気の力、音の力、火薬の力、水の力、火の力、原子力などなどです。理念としての数学があったが故です。また経済の力はある意味情報交換の力でもあります。何か自分にとって価値があると思われるものがあれば、それを手に入れようとします。その交換が盛んになることが経済成長の本質です。市場は理念によって創造されます。

 さて、現代世界中の人は、アメリカを始めとした先進国が獲得した兵器の力や経済の力に対抗しようとして、自分たちも力を獲得しようとしています。自然の力を活用すること、経済発展を追い求めることはそれでいいのですが、もう一つ忘れてはならないのが、人間の力そして人間に内在する神の力です。人間から力を引き出さなければなりません。

 自然から力を引き出したものが理念としての数学であり、経済力をもたらしたものが理念としての市場であったように、人間から力を引き出すものも理念です。正確に言えば理想です。人に理想を示すことで、その示された理想に達しようとして人は成長していきます。

 私は理想を追い求めてきた人間でした。若い頃は何が人間にとってふさわしい理想なのかそれを探求するということが関心でした。今では人間にとっての理想がどのようなものかわかってきて、その理想に向かって自分が成長していけるよう時間を注いでいます。理想は人間の活動に方向性を与えるものです。

 理想を求める人の中には、自分の考えていることが正しいとして、人にその考えを押し付けようとする人がたくさんいます。人に自分の理想を押し付けようとすると、しばしば軋轢や争いが生じます。どのような立場であろうと、自分の思うとおりに人をコントロールしたがる人が世の中にはいます。

 理想は示すものです。そちらの方向に向かって歩むことで人の力が引き出されるということを自らの体験を通じて理解している人が、特に教育の場などにおいて示すものです。それを示す人は、自らがそれを実践していなければ、他の人は誰も彼を相手にしません。

 私はいろいろな人と合う機会があるのですが、自由に振る舞うことが許されているような場においても、世間的な窮屈な価値観に沿って窮屈な行動をとる人を見かけたりします。自由に振る舞っていいといわれても、自由に振る舞わない人が世の中にはたくさんいます。理想が手本と言葉によって示されていても、それにあまり関心をもちません。世間の価値観があまりに内在化されています。

 これからの世の中、理想は一層大切になると思います。理想を体現した人、そしてそれを示す人、そして人々が自らの力を十二分に発揮できるように伸びていく場を確保すること。このような過程を通じて人間の力を育まなければ、日本はこれからも多くの困難に出くわしつづけるかもしれません。

 現代人は、お金の力や知識の力などを少し得ているかもしれませんが、人間の力をほとんど得ていません。教育現場では生きる力といいますが、そういう言葉を用いる人たちのほとんどが人間の力をどうすれば引き出せるかわかっていないのかもしれません。人間の力はそれを使うようにしなければ出てきません。理想を実現しようとする過程でそれらが引き出されます。理想に達するかどうかは別問題として、理想をいだき、それに向かって歩み、人間として成長していくこと自体は大切です。

 人々が力を存分に発揮し、力の中で最もすばらしい力が人間の力であることを理解するようになる、そういう時代が来ることを願っています。