助けるということ

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Lee Thomas



スワミ・ヴィヴェーカーナンダがロンドンで行った講話『人間の本性』を何度も繰り返し読んでいます。人間とは何か、人間の本質とは何かについてヴィヴェーカーナンダが丁寧に説明しています。このような話を原稿なしに話せる彼の英知は本当に素晴らしいものです。

 この講話の中に次のような箇所があります。
 「そしてもし世を助けたいと思うなら、それをとがめてはいけません。それを、それ以上弱くしてはいけません。なぜなら、何が罪なのでしょう、何が不幸で、何がこれらすべてのものなのでしょう。弱さの結果以外の何者でもありません。世界はそのような教えによって日増しに弱体化されつつあるのです。人々は子供時代から、彼らは弱くて罪人である、と教えられています。」(「ギャーナ・ヨーガ」p45)

 これはイギリス人、つまりキリスト教徒の人々を対象に話したものだからかもしれませんが、幼い頃から人間は罪人であると教えられると、人間は言われるままに弱くなり、それが故に罪や不幸が生まれると言っています。

 この中で私が心をひときわひかれた言葉は、「それ(世)を、それ以上弱くしてはいけません。」という箇所です。子どもと接しているとわかるのですが、子どもは学校や家庭でいろいろあっても、いつも伸びよう伸びようとしています。子どもにはそういう力がありますが、間違ってそういう力を弱めるような言葉をついいってしまうことがあります。「こうしてはいけない、ああしてはいけない」とこれまで何度か言ってきました。

 世の中を見回しても、たとえば若い頃に抑圧されていた人が、あるとき自分を出して、自己主張をすることがあります。それはそれでいいのですが、その人の自己主張が社会の規範を超えそうになる時、相手に対して「注意したほうがいいのでは?」と思うこともありました。

 相手を思ってのことか、あるいは自分の価値観を投影しているだけなのかは知りませんが、これまで幾人かを弱めるようなことをしてきたように思います。しかし、変なアドバイスをするよりは、相手をしっかり見守ることのほうが大切だったのではないかと今は感じます。

 私は奉仕に関心があります。奉仕はほんの2字の短い言葉ですが、とても奥深い言葉です。奉仕は霊性の道の出発点でもあり、奥の院でもあると思っています。奉仕はどうあるべきか悩みを重ねてきました。適切なタイミングで相手の必要としているものを提供すること。奉仕とはそのようなものではありますが、ヴィヴェーカーナンダのように「もし世を助けたいと思うなら、それをとがめてはいけません」と考えたことはありませんでした。

 奉仕の機会を利用して、相手を抑圧する人も確かにいたりします。私はこれまで奉仕の際、相手に仕えるようにと心がけてきましたが、さらには、相手を弱めないことにも気をつけなくてはと思います。

 『人間の本性』は有名な一節「ゴールは遠いかもしれない、しかし目覚め、立ち上がり、ゴールに達するまでとまるな。」で終わります。ヴィヴェーカーナンダに敬服します。