愛に生きる

日常生活から少し離れて内省の時間にふと浮かんだ思いを記します。

雑念の整理

私はかれこれ十数年、毎日欠かさず瞑想を続けています。調子のいいとき、余裕のあるときは30分くらいしますが、時間がないとき、体がしんどいときは数分程度です。自分でもよく続いているなと思います。入浴しないと体のベトベトが気になるように、瞑想をしないと心の中のちょっとした汚れが気になってくるものです。

瞑想をはじめて数年、もうそれは雑念だらけでした。座って目をつむっても、それは瞑想と呼べる代物ではなく、ただ次から次へと湧いてくる雑念を目の当たりにする日々でした。部屋の中や家の中は、目で見ればどれだけ散らかっているかがわかりますが、心の中がどれだけ散らかっているかは目を閉じればわかります。

部屋が散らかっている時、少し片付けをすれば、片付きます。強引にそこにあるものを捨ててしまえば、すべてなくなります。しかし、雑念はどうしたらなくなるのかわかりませんでした。それらの雑念は、約30年間にわたり、私がさまざまなものを見聞きし、さまざまなことを考えてきたことの結果でした。私の心の中はクズやゴミだらけだったのです。

しかし、今では雑念はほとんどありません。目をつむって座っていると、平安ともいえる状態を楽しむことができます。少しばかりかすかな思考が声としてあらわれてくるのですが、私にとっては、大進歩です。

私は雑念に翻弄されているあいだ、どうすればいいかわかりませんでしたが、10年ほど前からそれらを記録するようにしました。それらの記録が手元にあります。時々見返すのですが、本当にいろいろなことを考えていたなと思います。しかし、記録したことで何が良かったかといえば、自分が思ったことのいくらかを実行に移すことができたことです。同じような思いが何度も何度もあらわれてくるのに気づけば、それを生活の中で実行するようにしました。良い想念ばかりではなかったので、悪い思いがくり返し湧いてくるときは、世の中に受け入れる形にまで昇華して実行しました。

想念を知ることは、自己探求の第一歩になりました。想念そのものは真の自分ではありませんが、それは私が行いたかったこと、そして私の心から湧いてきた感情だったので、自分が何を求めているのかを知るのに役に立ちました。

この作業を10年続けてきて、やっと心の中が整理されてきました。心の中を整理するのにもっと簡単な方法があるかもしれません。しかし時間がかかるなりに、私がたどった道も心の中を整理する一つの方法ではないかと思います。