人間的価値

火には燃えるという性質があります。燃えなければそれを火と呼ぶことはできません。水には流れる性質があります。流れなければ、それを水と呼ぶことはできません。太陽には光と熱を与えるという性質があります。光と熱を与えなければ、それを太陽と呼ぶことはできません。すべてのものは、それに固有の性質を持っています。電気にも、木にも、鉄にもそれぞれの特質、価値があります。

人間が人間であること、それを人間的価値と呼ぶことができます。人間が人間であるための価値を育むことが教育の第一の目的なのだと思います。人間は自分以外のものに価値を与えるよりも前に、自分自身に価値を与えなくてはなりません。

人間の構成要素をどのように見るかで、人間的価値の見方も異なると思います。私は、人間を体と心と霊の組み合わさったものと見ています。また、ハート(思い)と言葉と行動の一致が人格だと思っていますので、これに即して人間的価値を捉えるならば、まず真実(言葉の側面)、そして正しい行い(行動、体の側面)、平安(思いの側面)、愛(存在と態度の側面)、非暴力(霊の側面)が基本的な人間的価値だと理解しています。

私は40代半ばですが、この年になると、20歳前後までに学校で勉強して頭に詰め込んできたことのほとんどすべてはすっからかんになってしまいます。職業などを通じて活用してきた知識は頭の中に残っていたり、技能として身に付いているでしょうが、教科書の知識はゴッソリと抜け落ちています。そして、私(また私たち)に残っているものといえば、道徳性や人格ばかりのようです。お金持ちはお金の力を用いたり、地位のある人は地位の力を用いたりもするでしょうが、普通の人の活用できる主な力は、人間としての実力=道徳性、人格のような気がします。

中学生に接することがあるのですが、勉強も確かに大切ですが、中年以降に非常に重要になってくる道徳性や人格を今のうちに着実に身につけておいて欲しいと思います。これこそが大人が子どもたちに与えることのできる価値ある宝のような気がします。生きる力です。

私は、中学生のとき自分がもう大人のような気がしていました。高校生のときももう大人のような気がしていました。大学を出て働き始めたときももう大人のような気がしていました。しかし、この年になって若い人を見ていると、中高生のみならず、20代前半の人たちというのは、なんと若く未熟なのだろうと思います。20歳、30歳、はたまた40歳を過ぎても人間は成長し続けることができるということを実感している身としては、若い人たちには、決して焦ることなく、勉強しつつも、人間性を磨いて欲しいと願います。

ドラマや映画、小説は、手を変え品を変え、次々に新しい作品を作り出しています。娯楽といえば娯楽なのでしょうが、一方でそのほとんどは、人間として備えるべき価値を表現しようと試みているのだと思います。舞台設定がさまざまに変わっても、内容的に目新しいものはあまりなく、同じことを繰り返しているように感じることが多々あります。

年を重ねていったときに最後まで残るもの、それは人間的価値だと思います。