愛に生きる

日常生活から少し離れて内省の時間にふと浮かんだ思いを記します。

御言葉

私は不思議と梅雨時に体が疲れやすくなります。梅雨が空けてカッーと暑くなればなぜか調子は回復します。今日は、少し考えるのがしんどいので、師の言葉を引用させていただきます。

「電球を光らせ、扇風機を回し、マイクを機能させるのは、同じ一つの電流です。主電源を切れば、すべての電気器具の働きは止まってしまいます。神はその主電源のようなものです。あなたが何かを見れば、その中には神がいます。神はすべてを機能させている聖なる力です。」

→神のご意志がなければ、草の葉一枚風に揺らぐことはないといいます。風が吹いたので葉が揺らぐ、というのは科学的な見方だと思います。すべてが神に満たされて動いている、これが霊的な見方だと思います。

「他者を模倣するというひ弱な戦略を頼るのではなく、他の人々が持っている善い性質を吸収しなさい。私たちは土に種を植えます。それから、水、空気、肥料など、必要な養分を与えます。種が発芽します。それは育って苗木になります。そして最後に巨木となります。みなさんは、種が、土や肥料や空気や水になるのではないことがわかるでしょう。種はこれらを利用しますが、それ自体の本性を守り、成長して樹木になります。皆さんもまたそのような人生を送ることができますように!」

→社会は土のようなもので、私たちはその中に生を受けます。私たちは社会の影響を受けますが、善いものだけを吸収して、最終的に本来の自己を実現しなければならないと思います。

「たとえ1オンス(約28g)の体験であっても、1トンの勉強よりも有益なのです! 多くの人が、自分が機械的に丸暗記したことを何時間もかけて人に教えています。人は、行う講義の美しさや長さのみによって偉大な人物になることができるでしょうか? それはちょうど、食べた食事を吐き出しているようなものに過ぎません。」

→テープレコーダーにように記録されたことをくり返しくり返し話している人がいます。そういう人には、テープレコーダーと同じだけの価値を与えるのがいいと思います。言葉は拙くて表現できずとも、体験こそがその人の身についたものだと思います。

「今日の新聞は、明日にはゴミになってしまいます。私たちの人生は新聞に似ています。新聞を一度読み終わってしまえば、あなたはそれを何度も繰り返して読もうとは思いません。あなたは、この新聞のような人生を与えられて、悲喜こもごも様々な体験をしてきました。もう十分です。あなたは、「おお、神様、あなたは私にこの新聞をお与えになりました。そして私は、人生の様々な体験を通ってきました。もう二度と生まれてきたくありません」と祈るべきです。」

→確かに人生は新聞のようなものなのかもしれません。様々な出来事がありますが、その多くはくり返し振り返って楽しむものではありません。私たちのとってどのような体験こそが真の体験なのでしょうか?