愛に生きる

日常生活から少し離れて内省の時間にふと浮かんだ思いを記します。

心の違いが人間の違い

以前も書いたと思いますが、人間は肉体と心と霊(=アートマ)の組み合わせからなっています。(私はそう信じています)。肉体はそれぞれ異なりますが、突き詰めて考えればみな原子の集まりです。霊(=アートマ)は一つだと言われています。ただ一つの実在があるのみで、第二のものは存在しません。自分の実体もその一つのものと変わるものではありません。しかし、心はさまざまです。心の違いが人間の違いです。

仏教では心のことをよく扱います。心が変われば人間が変わるからです。車のハンドルをきれば、きった方向に車が動くように、人間は考えた通りに行動します。思考は肉体という車を操作するハンドルです。心次第で人間の人生は大きく変わります。

私の家は浄土真宗なので親鸞上人の著作に少し親しんでいます。人間はこの世で生きている時にだけ心を入れ替えることができます。信心を確かなものにすることを浄土真宗は強調します。親鸞上人のおっしゃったことで有名なのは悪人正機説です。悪人こそが阿弥陀仏の救いの対象であるというものです。心を阿弥陀仏に定めさえすれば誰もが救われると説きます。心一つで人生の目的を果たすことができます。

第2次世界大戦において戦犯とされた人の幾人かが戦後宗教の道へ進みました。キリスト教徒になった人もいれば、仏教の信仰を深めた人もいます。戦犯とされたある人は、本当に責任のある人が裁かれずに自分が裁かれることに耐えられなかったそうです。ある人は、戦争犯罪を犯した自分でも救われるのかと尋ねたとき、救われるとの返答を聞き、宗教の道に入ったそうです。(私は人間は罪を恐れるべきだと思っていますが)人間にとって罪を犯すとか、功徳を積むということはある意味ではそう大したことではないのかもしれません。大切なことは、生きている間に心を入れ替えることができるということだと思います。

中にはテレビやインターネットで流れていることや他の人の言うことに従ってばかりの人もいるかもしれませんが、しっかり自分を観察してみれば、頭(思考)はハートに従っていることがわかります。私が若い頃は性根(しょうね)という言葉を今より聞いたような気がするのですが、この根っこの部分を入れ替えれば人間はたちまち別人になります。

また、思考(マインド)の活動をある程度抑制することも大切なように思います。「Mind is like a mad monkey.(心は狂った猿のようなものです)」と言います。その思考がある程度落ち着き、それが愛に満ちた事柄に浸っているとき平安があります。平安は富や地位からくるものではなく、自分の心次第なのです。この点においても、心は人間を特徴づけるでしょう。