愛に生きる

日常生活から少し離れて内省の時間にふと浮かんだ思いを記します。

倫理的段階

大学4年生の時、ある企業の方から手紙が来ました。「いまはキルケゴールのいう倫理的段階に踏み出す時期です。」当時はまだバブル経済のころで、企業の方からさまざまな資料が送られてくる中、その方の手紙だけが今でも心に残っています。私は悩み多き青年期を過ごしていました。「考えるだけでなく、実際に行動を起こさなくてはならない」という焦りのようなものがあり、そのため、その手紙が心に何かを訴えかけてきたのでした。

デンマークの哲学者キルケゴールは「実存の三段階」を主張しました。「美的実在」、「倫理的実在」、「宗教的実在」の三つです。美的段階は人生の享楽を楽しむ段階です。その次に人は倫理に従うようになりますが、人間の有限性の前に挫折し、最終的に宗教的実在に至るというものです。

20数年前に倫理的人生へのお誘いの手紙を受け取りながらも、迷いは容易には断ち切れず、何とかかんとか生きてきたような私ですが、この何年か前になって迷いがなくなりました。およそ20年近く、悩みに悩み抜いてきたので、多分今後は大きく心が揺れることはないのではないかと思っています。孔子は40にして惑わず(不惑)とおっしゃいましたが、迷いが減った時期は40に差しかかる頃でした。不思議に思ったものです。しかし、同世代の人を見ると、私とは逆に若い頃迷わなかった人で今になっていろいろ悩んでいる人達もいます。

倫理という言葉は「社会におけるさまざまな関係において正しく振る舞うこと」くらいの意味に受け取っています。お釈迦様は「法に帰依し奉る(ダルマムシャラナムガッチャーミ)」とおっしゃいましたが、、このダルマと倫理は似ていると思います。何が正しいかにこだわれば、いろいろな意見もあるでしょうが、それはさておき、人間は正しく振る舞い続けていれば、芯がぶれません。倫理的段階においては、人生のあらゆる場面を楽しめるようになります。「人間の研究対象は人間である。(Study of mankind is man.)」という言葉がありますが、人間(自己)探求が面白くなる時期でもあります。

人間というものは不思議なもので、一度心に抱いた思いはそれを実現しなければ納得がいかないもののようです。ああしたい、こうしたい、あれが欲しい、これが欲しいと願ったことを、細部に至るまで実行しようとします。今の私は体力がないこと、そして年のせいもあって、ガツガツした生き方は難しいのですが、昔思ったことがふと蘇り、ついついそのことに振り回されることがあります。そのため、今は欲を極力持たないようにしています。今欲を抱けば、将来つまらないことに時間を浪費してしまいそうでそれが怖いのです。

倫理的段階の次は宗教的段階だとキルケゴールはいいます。10年、20年後にスムーズにその段階に移行できるよう、少し早いかもしれませんが今から少しずつ準備を始めています。インドでも、学生期、家長期、林住期、遊行期と言われます。社会的束縛が減ってきたとき、霊的達成に力を注ぎたいと思っています。