愛に生きる

日常生活から少し離れて内省の時間にふと浮かんだ思いを記します。

太陽

私は多くのことを本を通して学びましたが、最近は自然から学ぶように心がけています。たとえば太陽です。今日は雨でおひさまは出ていませんが、太陽は黙って多くの教訓を与えてくれます。

 二宮尊徳は太陽から学びました。彼は幼いころ貧しく、何とか家を支えていかなければということで一生懸命働きましたが、ある日空き地に気づきました。そしてそこに試しに、種を蒔いてみますと、予想外の収穫が得られました。村のみんなが放っておいた土地が無駄にされていることに気づいたのです。その土地はいつもあります。そしていつも太陽はそこを照らして植物を育んでいます。しかしその恵みをだれも活用できなかったのです。その後二宮尊徳は多くの放置されて、皆が気にも留めない土地をかりて作物を育てました。そうして彼は家を建て直したのです。

 太陽はいつも恵みを与えてくれます。この恵みの豊かさを日本人はアマテラスと呼びました。つまり古代の日本に住んでいた人々は神の恩寵に感謝していたのです。現代の日本人は、何か事業を始めようとする場合、借金をしたり、株を発行したりします。資本がなくては何もできないと考えているのです。古代の日本人はそうではありませんでした。古代の日本は外国から資本提供を受けて作られた国ではありません。自然の恵み、神の恩寵を最大限に活かして国造りをしたのです。このことは現代人も覚えていていいことだと思います。

 また、太陽は善良な人でも極悪な人でも差別することなく光と熱を与えます。これは、無私の愛を示しています。多くの人は、自分の気に入った人は愛しますが、自分に敵対する人を愛する人はあまりいないでしょう。しかし、太陽は太っ腹です。誰もが自分の子どもであるかのように、だれもを育みます。そういう自然の無私性をも古代人は尊んだと思います。

 太陽は私たちが生まれる以前から輝き、死にゆく日まで私たちを照らしてくれるでしょう。その間に少しでも太陽の性質から学ぶことができればいいと思っています。

 私は教育の分野で上記のようなことを教えるといいと思っています。理科は自然について教えますが、単なる知識だけでなく、太陽や風、木、川などの性質を学び、自然に対する愛を育むべきだと思っています。その上で、科学的な探求に入っていくべきだと思っています。このようなことは、理科の時間ではなく、道徳の時間に行うべきことなのかもしれませんが、どちらにしろ、私たちは自然から多くのことを学べると思っています。