愛に生きる

日常生活から少し離れて内省の時間にふと浮かんだ思いを記します。

クリスマス

今日はクリスマスです。聖なる方が地球にこられたことを祝う日です。

「ある日、イエスは一個の小さなパンを分けて全員に与えましたが、(不思議なことに)漁夫たちはお腹いっぱいになるまでパンを食べることができました。さらに、このパンには類まれな甘味がありました。その日から、漁夫たち皆、イエスを信じるようになり、イエスの教えに従い始めました。イエスは普通の人間に見えましたが、偉大な力に恵まれていました。漁夫の誰もがイエスの教えに従うようになってからというもの、ますます多くの魚が獲れるようになりました。それによって、漁夫たちは豊かになり、暮らし向きが良くなりました。漁夫たちの繁栄を見て、他の人々もイエスに従うことを考えるようになりました。イエスの評判が高まると、嫉妬してイエスに敵対しはじめる人々も現れました。友人がいるならば敵もまたいるものです。敵対者たちはイエスが公衆を騙していると言って訴えました。この申し立てにより、イエスの逮捕が命じられました。イエスは裁判所で、どのようにして力を得たのかと尋ねられました。イエスは自分の力はすべて神の意志であると答えました。非難が浴びせられていた時、イエスは議論したくなかったために沈黙したままでした。祭司たちのこの虚偽の告発により、イエスは死刑を宣告されました。統治者は心優しい人で、このように気高い人が無実の罪で磔にされることを嘆きました。磔の時、母マリアはイエスのそばに来て泣き始めました。「なぜ泣いているのですか、お母さん? この肉体は一時的なものです。この肉体を彼らの望むようにさせましょう。お母さんは彼らが私を殺そうとしていると思っています。私に死はありません。誰も私を殺すことはできません」と言って、イエスはマリアを慰めました。マリアは尋ねました。「あなたは私の肉体の息子ではないのですか?」。イエスは答えました。「もちろんです!肉体レベルでは、私はあなたの息子で、親子の関係があります。けれども、『私は私』に他なりません。すべての人は私の子です。すべての人は神性の化身です」。(以上引用)

主な霊性の道には行為の道、帰依の道、英知の道があるといわれています。お釈迦様は8万4千の御教えを説いたとされていますが、お釈迦様ご自身は英知の道をたどられた方です。それに対して、イエス様は帰依の道をたどられました。神を求め、神を愛し、神の手足となり、最終的に神御自身となられました。イエス様は若い頃から霊的なことに関心が深く、あまりに早熟でした。若くして神性を体現され、人々を導かれました。

私も自分に与えられた力を神の御意志と受け止め、それらを正しく用いて日々暮らしていきたいと思っています。キリスト教徒は日本に10万人はいると聞いていますが、この国にイエス様の理想を広めるには十分な数です。キリスト教徒の方々がイエス様の御教えの唯一つにさえ従えば、たちまちに黄金時代が来るでしょう。まだ彼らは自分たちの力に気づいていないように思われます。

ローマ法王は「クリスマスはとても楽しいが、同時に深く内省すべき時でもある」とコメントされました。私もこの半月ほどイエス様にまつわる文献に目を通してきましたが、霊的な道を歩む者にとって内省の時間はとても貴重です。愛と犠牲(奉仕)の理想が広まりますことをお祈りします。