愛に生きる

日常生活から少し離れて内省の時間にふと浮かんだ思いを記します。

青い喉の神

神はいくつもの御名(名前)を持っています。インドの有名な神様はそれぞれ1008もの名前を持っています。それらにはすべて意味があります。インドでは維持の神ヴィシュヌ神と破壊の神シヴァ神が有名です。シヴァ神も多くの御名を持っていますが、その中に私が特に好きな名前があります。それはニーラカンタ(青い喉の神)というものです。

インドの神話に次のような話があります。「かつてアスラ(魔神)とデーヴァ(神々)たちが不死の霊水(アムリタ)を手に入れようとして乳海を攪拌しました。彼らが攪拌棒でかき混ぜていると、最初猛毒が現れました。アスラたちはアムリタの代わりに猛毒があらわれたことに意気消沈し、攪拌することを諦めようとしました。しかし神々は猛毒にもかかわらず休むことなく勇気と決意を持ってその作業を続けました。神々の一貫した努力は、豊かな報いをもたらし、富の女神、願望成就の牛や木の形で現れ、最終的にアムリタそのものが現れました。」

このとき現れた猛毒をすべて飲み込んでくださったのがシヴァ神で、シヴァ神は猛毒に苦しみ喉が青くなったと言われています。これがニーラカンタ(青い喉の神)の名の由来です。

この神話には霊的な意味があります。乳海とは人のハートを表し、乳海をかき回すことは霊的な努力を行うことを示しています。人間が善と悪の力を借りて霊的な努力を行うと、まず心(ハート)から山ほど悪い想いや習性がわき起こってきます。善くなろうと思って修行をはじめるのですが、ちっとも自分は進歩せず、進歩しないどころか悪くなっているのではないかと思ってしまいます。ある人はこの段階で修行をやめます。しかし忍耐強く霊的な道を歩み続ける人にはのちに豊かな報いが与えられます。この話はすべての人に当てはまる霊的真実であると思われます。

私たちの心の奥にも深く悪が根付いています。この悪を多くの人はどうしたらいいのかわかりません。親鸞聖人はこの根源的な悪に気づき、悪人正機の説を唱えられるようになりました。多分、キリスト教でいう罪というものもこれに似たものであると思います。人間はこの悪をどうしていいか分からず、多くの人がそのまま放置しているかもしれません。

私もこのような課題に直面したことがあります。私は他の人にこの切実さを訴えようとも思いましたが、一方で誰もがこのような状態に対して無力であることを知っていましたので、他人に語ることはしませんでした。自分の中の悪を誰にもぶつけることなく、結局私は神に悪をすべてぶつけました。神にきれいごとばかりを祈るのではなく、これでいいのだろうかと思いながらも、すべての悪を神にぶつけたのです。私にとって神はニーラカンタ(青い喉の神)でした。私の心の中の悪を代わりに飲み込んで下さり、私は神を苦しめることによって自らの内なる悪を乗り越えたのです。キリスト教徒はイエスが人類の罪を贖われたと言いますが、イエスが人類の罪を贖われたことと、ニーラカンタの話は本質的には同じものだと思います。