自信がない人は他人を信じることができないと言われています。自信がない人は神を信じることができないと言われています。私は、日本人の多くが自信をもっていないと思います。自信がないので、満足も得られません。満足は物質やお金で得られるものではありません。それは自信をもって人生を歩むことの内にあるからです。
しかし数年前から私は自信を育むことができるようになりました。自信とはどのようなものかを教わったのです。ちょっとした言葉がきっかけでした。「あなた方は悪いことをする自信があるのですから、善いことをする自信もあるはずです。」最初、この言葉の意味がわかりませんでした。しかしふとしたことで意味がわかりました。
私は、狭い道路の横断歩道で信号が赤の時、車が通っていないとさっとわたってしまうことが時々ありました。信号無視は悪いことではあるのですが、私は自分で状況を見て、自分で判断して横断歩道を渡ったのです。私は悪いことをしました。しかし、私はまさに「悪いことをする自信」があったのです。このような、自分を頼る感覚がまさに自信です。自信があれば、悪いことだけでなく、善いこともできます。善いことをするには多くの困難が伴うことがありますが、それらを乗り越え、善いことを貫く自信というものが自分に備わっていることに気づいたのです。
世の中には、単なる傲慢さを「自信がある」と表現する人がいます。これは真の自信ではありません。あるいは、何らかの優れた能力があることこそが自信があることだと勘違いしている人もいます。自身に備わった何らかの能力に頼ってばかりいると単にエゴが増大するだけです。真の自信とは何かについて、多くの人に気づいてほしいと思います。
自信があればほとんどのことは可能です。ほとんどのことどころか、何でも可能であるという人もいます。逆に自信がなければ、人生において何一つ意味のあることを達成することはできません。ちょっとしたみじめさにさえ耐えることができません。人に与えられた能力は様々ですが、自分を信じる心はすべての人に等しく備わっています。自信をもって自分の人生を歩んでいると、人生に満足が得られます。世俗的なことはもとより、霊的なことに関しても多くを達成することができます。