愛に生きる

日常生活から少し離れて内省の時間にふと浮かんだ思いを記します。

心(マインド)

誰もが心(マインド)をもっています。いろいろ考えたり分析したり、想像したりする心のことです。

この心(マインド)はとても落ち着きがありません。私は若いころ、何で自分の頭はなぜこれほど騒がしいのだろうと思って悩んでいましたが、師の教えを受けてから、心(マインド)に落ち着きがないのは私だけではないことが分かりました。

心(マインド)はあたかもハエのようです。ハエは汚いものにもきれいなものにもたかりますが、心も、小さなこと、大きなこと、下らないこと、崇高なこと、下品なこと、高貴なことなどさまざまな対象について考えます。落ち着きがないものの中で心に勝るものはないのではないかと思えるほどです。

ナイフは調理などの役に立つと同時に、人を傷つける道具ともなります。それと同じように、心(マインド)は人を神仏の境位へと導くこともできれば、自らの人生を底なし沼へと引きずり下ろすこともできます。心(マインド)の通りに、私たちの人生はなります。ゴミを思えば私たちはゴミとなり、神を思えば私たちは神となります。

蓮如上人は、人は生きてさえいれば心を入れ替えることができるとおっしゃっていました。心を入れ替えて信心を得さえすればすべての目的は叶うでしょう。道元禅師も仏法の戒律にしたがった生活をするだけで心はコントロールできるとおっしゃいました。仏教はとても心理的な宗教だという方もいますが、心(マインド)を正しい方向に向けることは本当に大切なことで、心(マインド)を放逸なままにしておいて何かを成し遂げることはできません。

体は車体で、心(マインド)はハンドルにたとえることができます。心でこうしようと思った通りに体は動きます。心(マインド)をコントロールできれば、私たちの人生は安全です。しかし、この心(マインド)をコントロールするということが多くの人にとって至難の業です。多くの人は人生の目的などについて考えたり、知っていたりしませんが、目的を知らないなら心(マインド)の定めようがないからです。