愛に生きる

日常生活から少し離れて内省の時間にふと浮かんだ思いを記します。

運命について

運命はあるでしょうか、それともないでしょうか? 私はあると思っています。私にとっては、この世は一つの舞台であって、人々はそこでさまざまな役割を演じています。この劇における役割と舞台装置はある程度定まっていると思います。

 この世における舞台における筋書きは何でしょうか? それはインドの言葉で言えばダルマであり、中国の言葉で言えば、孝、忠、礼、義などの価値です。つまり道徳です。道徳は人々を導くこの世の監督(=神)の指示です。人間は親に対しては子であり、配偶者に対しては配偶者であり、子に対しては親であり、兄弟に対しては兄弟です。勤め先の人に対しては同僚であり、近隣の人に対しては隣人です。それぞれにどのように振る舞うべきかを内なる良心が支持します。

 運命はカルマに従って定まると思います。カルマとは、仏教で言われる善因善果、悪因悪果のことです。行為の通りに結果を味わうということです。人間にはカルマがあり、カルマに応じてこの世における運命(舞台の設定)が決まって来ます。

 運命を受け入れることは、役割を受け入れるということです。運命は最大限に活用されなくてはなりません。ある人と家族になったならば、できるだけその人たちと共に過ごす時間を楽しいものにすべきです。あるいは、その人との関係を通じて自己を最大限に成長させることです。運命は人生の妙です。私たちは最もふさわしい人と共に過ごすことになります。

 私の師は「忍耐は運命がそれ自体の緩やかなペースで進むのを許すことなのです」といっています。忍耐は非常に高い徳です。私の高齢の知人は、「人生はいくら年をとっても慣れない」といっていました。死ぬまで歩み続けなくてはなりません。長き人生にわたって、義務を果たし続けることで、私たちは最期に解放されます。

 誰の運命も味わい深いものであると思います。人間として生まれてくることは、最高の祝福であると言われますが、生きることに味わいを感じることができるのは、多分人間だけであると思います。人間だけが、生命の神秘、奥深さに触れることができます。

 私は運命を引き受けています。運命に抵抗するのではなく、それを可能な限り活かそうと思っています。苦難があったとしても、愚痴を言うのではなく、それを通じてより高みを目指そうと思います。運命の前に、誰もが平等です。