サティヤサイババ御降誕100周年に思うこと

 

サティヤサイババがこの世に肉体をもって現れたのが1926年11月23日で、バーラタ(インド)の数え方では今年が100周年になります。数字が96であろうと98であろうと99であろうと100であろうと、ただ単に表記法の問題であって御降誕そのものが尊いことを考えれば100という数字に大きな意味を与えなくてもよいでしょう。しかし人間社会においてはこのようにきりのいい数字の時、それを理由に盛大にお祝いをすることはあります。またサティヤサイババが肉体を離れたのは2011年4月24日で、もうすぐ4月24日がやってくるので、そのこともあり今日サティヤサイババ御降誕100周年にあたり思うことを書くことにしました。

 

サティヤサイババは多分すでにプレマサイババとして生まれ変わってこの世にいらっしゃるでしょうし、また仮に肉体がなくてもその御意志を実現することはたやすいことです。サイババは望むとおりにこの世に介入されているでしょうし、今の世の中に満足を得ているところもあるでしょう。サイババ御本人に関して私は特に触れることはありません。今日少し触れておきたいのは、サティヤサイババがこの世に残した大きな遺産のうちの一つであるサティヤサイオーガニゼーションのことです。私の理解では霊性の向上を目的とした奉仕団体です。この団体のメンバーであるための三つの資格があり、九つの行動規定があります。私は数年前のサナタナサラティという雑誌を読んでいて、バーラタ(インド)のサイオーガニゼーションは基本に立ち返り九つの行動規定の徹底に取り組んでいるという記述を見かけました。

 

サイババの御言葉に次のようなものがあります。
"The whole world's future depends on Bharat's spirituality."(世界全体の未来はバーラタ(インド)の霊性によっています。)
あくまでも部外者としての、事実を十分には知らない視野の限られた者の意見に過ぎないのですが、サティヤサイオーガニゼーションはサイババの恩寵によって世界中の国に与えられはしたのですが、現在のところサイババの意図したとおりに機能しているのはバーラタ(インド)だけなのではないかと思うことがあります。バーラタ(インド)はさすがに霊性において飛び抜けていると思っています。日本のオーガニゼーションにおいては、サイオーガニゼーションの会員になっている人の内、九つの行動規範の1番目と2番目を誠実に実行できている人がどのくらいいるのだろうかという疑問があります。よくはわかりませんが1割くらいいるのかしらと思います。もしかしたらそれ以上かもしれませんが、私にはよくわかりません。しかしもし仮に1~2割とした場合、オーガニゼーションは欺瞞に満ちていると判断できうる数字です。

 

 『九つの行動規定』という冊子に次のような言葉があります。
「先生、私は帰依者たちに九つの行動規定を与えました。毎日神の御名を唱え、瞑想するという、最初のステップすら守っていない人々がどのくらいいるか、スワミには判っています。最初の一歩すら踏み出していない人が、どうして最後まで到達できるでしょう?」(サティヤサイババ
九つの行動規定の1番目は日々の祈りと瞑想で、2番目は週に1回は家族で祈りや礼拝の時間をもつことです。この2つの後にサイセンターでの規律が来ます。サイセンターの活動に参加していれば、1番目と2番目の規律を実践しなくてもいいのでしょうか? サイババによれば、最初のステップすら守っていない人は最後まで到達することはできないということです。九つの行動規定の順序は大切だと思うのです。1番目と2番目を無視する人は、衣服のボタンを掛け違いで着ていながら、適切に装っていると主張するに似ています。サイババのおっしゃるのは、1番目と2番目ができていないならば、サイセンターの活動に参加してもあまり意味はないということではないかと私は受け取っています。これは私がサイセンターに参加しだした約20年前の見解であり、そして今の見解であり、そしておそらく今後もこの見解をもち続けると思います。サイババの指示を無視して、その他のことに山のような時間をかけても時間の無駄であり、少しでもサイババの指針に沿ったことを行う方がより価値があると私は受け取っています。

 

メンバーであるための三つの資格の二つ目は「彼らは、オーガニゼーションが関する御名を固く信じ、その御名のメッセージと栄光にふさわしい手段で御名を公布することに、確固たる信念を持っていなければなりません。」とあります。「御名の公布」は解釈が少し難しくはあるようですが、私の理解では御名とはサティヤ(真理、真実)とサイ(サイババ)の二つのことです。一つ目は真実を語ること、真理に立脚した人生を送ることで、二つ目はサイババの御教えを実践しそれを血肉とし、人生の諸状況に応じて、その血肉となったものがサイババに由来する場合サイババの御名を公言することです。またその他にもサイババはパブリックミーティングをしなさいと指示されたことがあるようで、その手順も示されたと聞きます。この手順に厳密に従ってパブリックミーティングを行うことに対しての確固たる信念は必要でしょう。

 

サティヤサイババ御降誕100周年にあたって、ここ最近ほとんどサイオーガニゼーションに関わっていない私がいうのはどうかというところはありますが、現在日本にいる霊的求道者たち、未来の日本の霊的求道者たちのためにもサイオーガニゼーションがスワミの指示通りに機能してくれることを望んでいて、それをこの機会に書かせてもらいました。