空間創造者

 

自分の肩書は自分でつけていいのです、という人がいます。名刺の多くは所属する会社の部署と名前が書いてあるでしょうが、自由業の人の中にはあまり見かけないような職名を名乗っている人がいるようです。とはいっても私にはこれといって特別な能力があるわけでもなく、自分に合った肩書というものがあるのかなと思ってきました。しかし最近「空間創造者」というのはどうだろうと思う機会がありました。字面だけを見れば建築業界の人間のようですが、ここでいう空間とは精神空間、バーラタ(インド)でいうところのチッタアーカーシャのことです。

 

サティヤ サイババ: 神に特定の姿はない

 

私は2週間前に「アインシュタインは質量とエネルギーが等価である方程式を導いたけど、私はマントラと精神空間が等価ではないかと最近思っています。」とツイートしました。簡単にいうとマントラを憶念し続けていると心(マインド)が自由に機能できる精神的な空間が確保されるということです。そしてその空間は現代人の多くに知られていないものであるというわけです。マントラにはたくさんのものがありますが、マントラの数だけ精神空間はあります。ヴェーダのブランチ(枝)は少し前は100を超えてあったようですが、今残っているのはほんのいくつかだけだそうです。それはつまりは人間が思考する空間が減ったのです。特にいま世界中のメディアで流されている言説のほとんどは「Money is power, money is God, get much money.」というマントラを世界中の人たちが憶念した結果得られた思考の結果です。お金儲けとは関係ないようでも、現代は手の込み入った物乞いたちがあふれていて、実際は物乞いの言葉であるものが多いわけです。

 

たとえば私はこの1年に次のような記事を書きました。

aitasaka.hatenablog.com

 

aitasaka.hatenablog.com


です。これらはオームナマシヴァーヤ、シヴォーハム、"Love is God, God is Love, Live in Love.というマントラを憶念した結果として開けてきた世界を簡単に記述しています。マントラが精神空間をもたらすというのはこういうことです。一方でヴェーダは神の呼吸だとされますが、もしかしたらチッタアーカーシャ(精神空間)こそが神の一つ一つの呼吸(息吹)なのかもしれません。そしてその一つ一つにマントラが対応しているということがヴェーダの定義といえなくもないかもしれないと思ったのです。

 

私が正統だと思うマントラは、ヴェーダマントラとバガヴァッドギーターとサイババの御講話や著書などの言葉です。それに各宗教で唱えることを勧められている神仏の御名を加えてもいいでしょう。ヴェーダマントラに触れることのできる日本人はまれです。しかしバガヴァッドギーターは多くの人が触れることが可能でしょう。日本語訳なら岩波文庫のものを、できるならバーラタの聖者が訳した英語のものが好ましいと思います。さらにはサンスクリット語を学び原典にあたれば申し分ありません。サイババの御講話も日本語で十分ではありますが、英語が理解できる人は英語の元訳を合わせ見る方が理解が進みます。さらにはサイババテルグ語で話されますが、テルグ語を学ぶとまた理解の程度が違うのかもしれません。

 

日本においては南無阿弥陀仏という御名を憶念してきた方々によって、分厚い本が何冊も書かれています。御名がもたらした思考の領域です。弘法大師も若いころに「御厨人窟」(みくろど)で100万回虚空蔵菩薩真言を唱えたらしいですね。彼の悟りというのは彼に開けた精神空間でもあると思うのです。

 

現代人は呼吸に苦しむかのように喘(あえ)いでいます。何かをいってもそれはかつて他のだれかがいったことの焼き写しです。狭い空間に多くの人が密集し、酸素不足に苦しんでいます。今現代人は精神空間(チッタアーカーシャ、神の呼吸)を切実に必要としているのでしょう。私はマントラを憶念して少しばかり思考の領域を提示することができるかもしれないので、空間創造者を自称してもいいかもしれないと最近思ったわけです。信仰をもってマントラをある期間唱え憶念すれば多くの人が空間創造者になれるでしょう。このような人は増えていいと思うのです。